ハイデガーの「転回」は「1930年代半ばに起こったハイデガーの思索の根本的変化」と解されているが、それは誤りだ
20世紀を代表する哲学者として、今も多くの研究書が刊行されているハイデガー。その一方、一時期ナチスに入党していたことにより、彼の思想には、つねに毀誉褒貶がつきまとってきました。 【画像】ハイデガー哲学研究者と曹洞宗老師のスリリングな対話 のちにハイデガーは 、ナチズムの貧弱な哲学的基礎を批判するようになっていきます。それは、既存の哲学においてまったく問われることのなかった、ハイデガーの「前代未聞の問い」に基づいていました。 いったいハイデガーはどのような哲学的格闘に挑んだのでしょうか。 【本記事は、轟孝夫『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』を抜粋・編集したものです。】
ハイデガーが取り組んだ「前代未聞の問い」
ハイデガーのこうしたナチズム批判もまた、突き詰めれば、彼の哲学的思索の核心をなす「存在への問い」に基づいている。つまり彼の「存在への問い」とは、われわれが生きている時代の危険の本質、さらにはその克服のために目指されるべき方向を明らかにしようとするものであった。 そしてこの点こそが、そのナチス加担にもかかわらず、ハイデガーの哲学を取り上げることが今日とりわけ重要だと私が考える理由である。 ハイデガーは自らのこの「存在への問い」を、過去の哲学においてはまったく問われることのなかった、前代未聞の問いであると位置づけていた。つまり彼が「存在」として問題にしようとした事象は、既存の哲学においてはまったく語られたことがないものなのだ。 それゆえ彼はこの問いの遂行にあたって、「存在」を適切に語ることのできる言葉をもっていなかった。かくしてハイデガーは、この「存在」を適切に示す言葉を自分自身で一から作りあげていくことを余儀なくされた。彼の生涯にわたる哲学の歩みは、この「存在」という事象を適切に語ろうとする苦闘そのものであった。 「存在」についての考察はもちろんハイデガー以前からあったが、基本的にわれわれの目の前に対象として見出される事物に関して、その属性を捉えようとするものでしかなかった。それに対して、本論でも詳しく述べるように、彼は「存在への問い」において、事物の「存在」とはある固有の「場所」による限定を受けるものだと主張する。 ごく簡単に言うと、彼の「存在への問い」は、「存在」が「場所」、「環境」と切り離しえないことを強調し、さらに「存在」を規定するそうした「場所」―ハイデガー的には「世界」―がいかなるものであるのかに考察の視線を向けようとするものなのである。 この意味において、「存在の思索」は、もっぱら事物のみに注目するという伝統的な哲学/学問の根本姿勢から脱却し、事物の「存在」が繰り広げられる「場所」そのものに身を晒し、それを熟知することを要求する。ハイデガーはこの思惟の根本的転換を「転回(ケーレ)」と呼んだ。 「転回」は通常、1930年代半ばに起こったハイデガーの思索の根本的変化を指す語と解されているが、それは誤りである。今も述べたように、「転回」は対象的な事物のみに注目するこれらの思考態度から脱却し、「場所」と不可分な事物の「存在」、ないしは「場所」そのものを思索することを指している。 つまり「転回」とは、ハイデガーの「存在への問い」が当初から要求していた、哲学的態度の根本的な変更を意味するものでしかないのである。