「心情描写が足りないのにイベント模様は無駄に長尺」 橋本環奈「おむすび」が“ハズレ朝ドラ”な理由
1990年代のギャルは大人や世間が押し付けてくる「女らしさ」を蹴散らかし、自分たちの「カワイイ」を追求する独自の文化と言語を生み出した。革命的だった。派手なメイクは馬鹿で助平な男を避ける盾、長いネイルは口うるさいおばさんを黙らせる剣で、自分らしさや個性を守るための武装だったと記憶している。 【写真11枚】パッとしない「おむすび」に比べて… 今田美桜主演「あんぱん」キャストが豪華すぎる
なので、ギャルが主人公と聞いて、主役の橋本環奈がギャル武装し、世間の不寛容と戦うのね、と勝手に妄想していた。まったく違った。時代も違った。ハズレ朝ドラ「おむすび」の話だ。 環奈が演じる米田結は福岡県・糸島の農家の娘(もう名前も安易で「警視庁・捜査一課長」っぽい)。山っ気の強そうな祖父(松平健)と常に笑顔の祖母(宮崎美子)、理容師を辞めて農家を継いだ父(北村有起哉)を支える主婦の母(麻生久美子)と暮らす。姉(仲里依紗)はどうやら東京にいるようだ。この姉が福岡では「伝説のギャル」と呼ばれているらしいが、米田一家は皆口ごもる。ギャルで有名なら自慢じゃんと思ったら、「ギャル=不良・非行・社会のクズ」なる図式で描かれていく。もうそこから違和感。ギャルをそこまで迫害する必要はあるのか? 高校の教師までが伝説と語る割に、家族は詳細を語らぬまま、姉を煙たがる。姉はなんかやらかした? 前科でもあんの? 姉の伝説が分からないまま、物語は進む。
初回から海に飛び込んだり、イケメン球児と出会ったり、ハンサム先輩に引かれたり、おむすび感のある幼なじみ男子も出てきて、ラブコメ要素がバカスカ投入される。ただ、結がさっぱり分からない。ギャルが嫌いという割にギャルたちに押し切られ、困った人を見過ごせない家系というけれど、逆に他の人に心配をかける。姉や父に対する感情もよく分からず、周囲に流されていく。環奈も結というキャラがつかめないまま、書道やったり、タマネギの皮で布染めたり、踊ったり、握り飯食うだけ。困り顔でキョトンとするしかないわな。こっちもキョトンだよ。 たった15分の朝ドラで、主題歌直前やラストの余白数秒は重要な心情描写タイムだ。せりふがなくても表情や余韻で多くの情報を伝えることができるのに、この余白を生かせていない。必要な心情描写が絶対的に足りていないのに、イベント模様は無駄に長尺で見せるバランスの悪さ。演出に問題があると思う。 阪神・淡路大震災の体験も細切れで入ってきたものの、つらい記憶に都合よく便乗した感も否めない。そして喪失のトラウマを抱えたのは結じゃなくて姉だ。いや、むしろ父だ。 朝ドラにふさわしいとされる要素を入れ込む義務感と使命感だけは伝わってくるが、結果、つぎはぎ感とちぐはぐな印象に。もっと自由に大胆に描けたらよかったのにね、ギャル文化を。 現段階で感想を聞かれたら、「結は隔世遺伝で祖父母似」「名古屋の元スケバンだけはギャルに理解がある」くらい。姉も理由なき横柄&悪態。名優陣が極薄の表層エピソードに消費されていくのは耐え難い。 吉田 潮(よしだ・うしお) テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビドラマはほぼすべて視聴している。 「週刊新潮」2024年11月14日号 掲載
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