櫻坂46、三期生楽曲「静寂の暴力」が高く評価される理由 池田一真監督の映像表現から分析
「静寂の暴力」が描くリアルな孤独
「静寂の暴力」はどちらかで言えば、「サイレントマジョリティー」の演出に近いだろう。小さな体育館のような場所で、メンバーが個性を廃した衣装を身にまとってダンスを繰り広げる様子がドキュメンタリーチックに描かれている。櫻坂46のMVとしてはかなりシンプルな作りで、一切の無駄がないダンスに重きを置いた映像になっているのが特徴だ。MVメイキング映像では、村井優が孤独に没入するあまり涙を流すシーンが映し出されていたが、メンバーそれぞれが孤独と向き合うリアルな姿を映像がとらえている。 当時はまだ加入から半年。欅坂46や櫻坂46のパフォーマンスに憧れて加入したメンバーが大半ではあるが、理想をどこまで表現できるのかはまだ未知数だった。それを引き出してくれたのが「静寂の暴力」であり、池田監督である。センターを務めた山下はこの楽曲が披露される前に『三期生おもてなし会』で「五月雨よ」のセンターを務めていたが、ダンス経験者とはいえまだ櫻坂46としての経験値のない山下が同曲のダンスにおける絶妙な間を表現していたことに筆者は感銘を受けた。これから何者にも染まっていける感覚をそこで感じたが、その感覚が間違いではなかったと確信したのが「静寂の暴力」のMVだった。 池田監督はX(旧Twitter)の中で、「今しか絶対に出せない表情、ダンスを粘り強く狙いました」(※1)とコメント。MVメイキング映像でもメンバーの口から“がむしゃら”という言葉が登場するが、当時はまだ加入から半年未満だったからこそ、まっすぐな表情やダンスをしっかりと映像に映し出されていた。演出の面では、汗水流した合宿を経験して、櫻坂46の一員となり、表舞台に立つ。その一連の三期生のストーリーとMVが地続き的に描かれているドキュメンタリー的な志向がBuddies(櫻坂46ファンの呼称)からも反響が集まっている理由なのだろう。 池田監督は欅坂46から長いグループ歴史の流れを見てきた人物で、櫻坂46が持つ表現力の活かし方を十分に知っている。だからこそ、「静寂の暴力」は三期生の息遣いまで鮮明に感じられる映像になっているのだろう。欅坂46イズムと言ってしまうのは少々陳腐な表し方ではあるが、欅坂46から積み上げてきた表現への姿勢が、三期生へと受け継がれていると感じたのは筆者だけではないはず。間違いなく三期生楽曲のベストビデオだろう。 ※1:https://x.com/kazuma__ikeda/status/1668979515677106177
川崎龍也