きじまりゅうたさん「老化は感じない」 思い出の〝はたちメシ〟を前に… YouTubeを始めた理由
二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか? 当時好きだったものを食べて、今と昔に思いを馳せてもらう――そんな企画の第1回目は人気の料理研究家、きじまりゅうたさんの登場です。 【画像】きじまりゅうたさんの思い出の1皿はこちら 好物も食物も変わらず 渋谷のスクランブル交差点は、きょうもスマホを掲げて動画を撮る観光客であふれていた。 センター街を進んで、宇田川町に入る。待ち合わせはハンズ(旧・東急ハンズ)のすぐ近く、低層階の雑居ビルが密集しているエリアだった。 ダンススタジオにギャラリー、各ジャンルの洋服店、飲食店の看板があちこちに。みっちりと個人店が居並ぶ感じ、昔ながらの渋谷感が残っていてうれしくなる。 きじまりゅうたさんが23年前に通っていたカフェは、その一角にあった。当時は大学生、バイト先が渋谷だったそう。 「二十歳っていえば、料理への思いが人生で一番落ち着いていた頃ですね。料理研究家の道を高校の頃、祖母に猛反対されて。じゃあ、次に好きだった洋服に関することをやりたいなって。アパレルでバイトしてたんですよ。できたばかりのストリート系ファッションブランドでした」 祖母は村上昭子、母は杵島直美という高名な料理研究家の家に生まれた。祖母は孫を溺愛して料理を教え、自分の仕事をたくさん見せて育てた。きじまさんも飲み込みは早く、料理研究家を自然と目指していたが――。 「当時は家庭料理の研究家で男性ってほぼいなかったんです。男はシェフや料理人が教える時代。その後にケンタロウさん(※料理研究家、1972年生まれ)が出てくるんですけどね。母は俺の進路に一切口出しませんでしたが、祖母から『不安定な道を選ばず、ちゃんと就職してほしい』と言われて」
祖母思いのきじまさんは、一旦承服する。服飾関係の知り合いができて、彼のブランド立ち上げに関わるようになった。 営業職が水に合い、「モーレツに、がむしゃらに」働く日々。「うちの服を置いてくれませんか」と全国のショップに電話をかけまくったことも。 「トータルで1000軒ぐらいは電話したなあ。泥臭いやり方してましたね」 ちょっと遠い目をして、笑って言われた。実直な人柄と熱意が通じたのか、置いてくれる店がちらほら生まれていく。 「成果も出てきて楽しかったけど、ハードでした! そのうちデザインにも関わったんすよ、経理以外は全部やったんじゃないかな。拘束時間も長かった」 若いから腹も空く。店のすぐ近くにある『モガカフェ』(※旧店名『モボモガ』)は定番のメシどころで、「ちゃんとしたものが食べたい」ときによく行っていた。当時好きだった一品が、今も現役でメニューに残っている。 「わーっ、これこれこの感じ! ワンプレートのスタイルが流行り出した頃じゃないですか? 盛りつけも内容もほぼ変わってないと思います。うん、このハンバーグのごつさ、分厚さがうれしかったんだよなあ。トマトソースがかかって、下はちょっとチャーハンチックなガーリックライスって感じで」 バクバクと勢いよくハンバーグピラフを口に運ぶ。「この肉々しさ、たまんねえ~」と目を細めた。 味見させてもらえば、がっつり感はあれど重くはない。トマトソースが爽やかで食べ心地がよく、ふわっと柔らかいハンバーグの食感も印象的。福神漬けがいい口直しになるのは発見だった。 「今の値段は1500円ですか、この内容だったら安い。ペロッといっちゃいましたね(笑)。当時はいくらだったかなあ……。俺、43歳になって炭水化物の量はやっぱり減りましたけど、食欲とか好物はあまり変わってないんですよ」 確かに、スプーンの運びの早さは20代のリズムだった。こういうところにも人間、若さは出るのだなとふと思う。