「喧嘩最強」を目指した中学時代……元阪神外野手に再び野球の道を目指させた「心奮い立つ恩師の言葉」
どんどん野球がうまくなる
「オレの言う事を聞いて練習やってくれるか」 監督のその言葉の通り、僕は練習しました。すると、どんどん野球がうまくなったんですよね。うまくなる感覚が自分でもわかってきたんです。 この監督は、有田勝則先生。宮崎の中学軟式球界では有名な方で、選抜チームのコーチになったり、育てた選手が高校球界で活躍しているほどの指導力を持った方でした。 有田先生はとにかく熱心で、エネルギーに溢れている。隻腕なのですが、ノックしますし、選手以上に喜んで、泣く方でした。 いま振り返ると、僕は指導者に恵まれたなと思います。今でも有田先生とは連絡を取り合う関係です。 そして中学最後の夏にレギュラーの子が怪我をしてしまい、有田先生からお前が1番打者でいけといわれて、公式戦で柵越えのホームランを打ったんです。 その本塁打をたまたま見ていたのは、日南学園の小川(茂仁)監督でした。 日南学園はこの時、徐々に力をつけていた学校でした。小川監督は有田先生に「あの1番打者は足は速いし、良いモノを持っているよね」と褒めてくれたそうです。 「これは出会いだから。ここで打ったことということは、彼は“持っている”ということです」 そうして僕の日南学園の進学が決まりました。 平下晃司(ひらした・こうじ) 宮﨑・日南学園時代は左の強打者として活躍し、1995年に選抜、夏の甲子園出場を経験。同年、近鉄バファローズから5位指名を受け96年から00年の4年間プレー。トレードで阪神に移籍し(01年から04年途中)、その後ロッテ、オリックスを経て07年に引退。現在は東大阪市にある「ブリスフィールド東大阪 スポーツアカデミー」のベースボールスクールのヘッドコーチを務めながら、東大阪長田ボーイスの監督を務めている。