クラシック・ファンをも魅了したモダン・ジャズ・カルテットの優雅な存在感
音楽の話をするとき、まずは「どんなジャンルの音楽が好きですか?」とたずねることがあります。好きなジャンルが異なる場合は、盛り上がらず話が終わってしまうことも少なくはありません。しかし、なかにはジャンルを超えた音楽も存在しています。今回はクラシック・ファンをも魅了した優雅なジャズについてジャズ評論家の青木和富さんが解説します。
プレスティッジのボブ・ワインストックが嫌ったピアニスト
音楽を区分するいわゆるジャンルは、実にやっかいな存在だ。かつて、オーネット・コールマンは、音楽のジャンルとはレコード店の商品棚にだけ存在するもので、音楽とは関係ないと言ったことがある。かくいうコールマンのレコードは、ジャズに区分され、さらにフリー・ジャズという特殊なジャンルのコーナーの棚に押し込まれるのが常であった。一般にフリー・ジャズの開祖とされるコールマンだが、実は自分からフリー・ジャズという言葉を口にしたことはないという。コールマンの代表作の一つに、その名もズバリの『フリー・ジャズ』という傑作があるが、では、あれはどうなんでしょうと聞くと、レコード会社が勝手にそうしたと笑った。 さて、コールマンの話は別の機会にすることにして、今回はジャズとクラシックの話である。プレスティッジのボブ・ワインストックが嫌ったとされるピアニストにジョン・ルイスがいる。ルイスは、ジャズ史上最長の活動歴の記録を残したグループ、モダン・ジャズ・カルテットの実質的なリーダーで、ワインストックは、この名グループの初期に関わったということになる。 しかし、このグループの発足はなかなか複雑だ。モダン・ジャズ・カルテット(以下MJQ)のメンバーは、一応こうなっている。ビブラフォンのミルト・ジャクソン、ピアノのジョン・ルイス、ベースのパーシー・ヒース、ドラムのコニー・ケイ。しかし、ケイの前にケニー・クラークが、短い間だけれど初代ドラマーをつとめている。ところが、ヒースの前にもレイ・ブラウンがいたという時代もあり、これがこのグループの最初期型と考えられないこともない。何のことはないこの4人は、1940年代のディジー・ガレスピー・オーケストラのメンバーで、ホーン・セクションが疲れると、彼ら4人が残ってステージをつとめるということがよくあった。重要なのは、彼らはとても仲がよかったということだ。 この時代のリーダー格はミルト・ジャクソンで、ミルト中心の録音がたくさん残されていて、それらは後年、MJQの名前で出されることもあった。ミルト・ジャクソン・カルテットも短縮するとMJQなので、まぁ、いいんじゃないかといった大らかな時代であった。実際、ジョン・ルイスに、MJQはいつ始まったんですかと聞くと、ヒースが参加した1952年ということになっているという返事で、そんなことはあまり気にしていないという感じであった。とはいえ、この当時、グループとしてやっていこうということになったのは確かで、ミルト・ジャクソン・カルテットから始まったが、その後モダン・ジャズ・カルテットと名乗り始める。この変化の中身は、ジョン・ルイスの存在が大きくなったということだ。実質的に双頭バンドで、それが次第にルイスが音楽監督を担当するバンドになり、そして、モダン・ジャズ・カルテットという音楽の不思議な宇宙を形成することになる。 このグループの名曲と言えば、ジプシー・ギターのジャンゴ・ラインハルトに捧げられたジョン・ルイスのオリジナル「ジャンゴ」で、これはもはやスタンダード・ソングと言っていい。ルイスは、バッハに影響されたといい、実際、バッハの曲を演奏したり、その技法も取り入れ、これまでのジャズにはない世界を作り上げた。けれど、MJQの魅力は、そうしたことよりも、この「ジャンゴ」に代表されるどこかヨーロッパ風な哀感にあると言っていいに違いない。よく言われるように、ルイスの音楽はクラシカルではあるけれど、その中心にあるのはブルースで、それがヨーロッパのジャック・ルーシェやオイゲン・キケロといったクラシカルなジャズ・ピアノと確かな一線を画すものだろう。MJQのもう一人の強靭なソロイスト、ミルト・ジャクソンがこの世界に欠かせないメンバーである理由もそこにある。ヒースの端正なベースも強力な接着剤のように働き、この世界が見事に完成する。