二十歳のとき、何をしていたか?/河村康輔 さまざまな人との出会いに導かれて歩み始めた コラージュアーティストの道。
コラージュへの目覚めはPower MacのG3。
キレッキレ! 河村康輔さんのコラージュ作品ほど、この言葉がふさわしい表現もない。実際、シュレッダーによって解体された図像を、自らの手でまるでバグが起きたテレビ画面のように再構築したその作品を見たら、誰もが驚嘆とともにその言葉をつぶやかざるを得ないはずだ。そんな河村さんがコラージュ道を歩み始めたのは20代の頃。大きなきっかけとなったのは、二十歳になる年に地元広島から上京したことだそう。 【取材メモ】まだスタートして間もないmixiで交流していた人物が、憧れていた宇川直宏さんであることが後に判明。 「高校のときから夜行バスでハードコアのライブとかを見に上京してはいたんですよ。地元は田舎だったから夜9時には最終バスが出るんですけど、あるとき、帰りにバスの窓から新宿西口のヨドバシカメラのネオンサインが見えて、思ったんです。『ああ絶対東京に来よう』って」 しかし、両親は学校に行かない限り上京資金は出してくれないという。そこで河村さんが思いついたのが、デザイン学校に行くというアイデアだった。 「高校時代は裏原全盛期で雑誌を開けばスケシンさんや〈バウンティ・ハンター〉のヒカルさんが出ていて、ほとんど遊んでいるようにしか見えないのに雑誌に載れてすげぇなぁと(笑)。で、プロフィールを見ると〝デザイナー〟って書いてあるわけですよ。だから、進路指導でも当時はデザイナーが何かも知らないくせに『デザイナーになりたい』って言って、代々木にあるデザイン学校に行くことになったんです。結局、学校には2回しか行きませんでしたけど(笑)」 そんなある日のこと。河村さんは人生を変える出合いを果たすことになる。 「友達の家に行ったら、蛍光色のPower MacのG3が置いてあったんですよ。初めて見るフォトショップとイラストレーターの機能をひと通り見せてもらいながら、めっちゃ感動したのを覚えています。丸とか四角を描いてもらっただけなんですけど(笑)。それで『もしかしてこのフォトショップってやつは、写真の合成とかできるの?』って聞いたら、『できるよ』って、ラフだけど2枚の写真を合成してくれて。パンクとかハードコアが好きで、コラージュにはずっと興味があったんで、『あ、俺がやりたいのはこれだ』と。それですぐに学費としてじいちゃんにもらったお金を握りしめて秋葉原にMacを買いに行ったんです。その日から、バイトの時間以外はひたすら写真を切り倒してコラージュを作っていましたね」 今でこそアナログな手法の印象が強い河村さんだけど、当初はデジタル派だったのか! しかし、作ったはいいが発表の機会もなければ、仕事につなげる方法もわからない。そこであるイベントに作品を紙に出力して持っていくことにした河村さん。目的はDJとして出演する宇川直宏さんとEYヨさんに見せることだったが……。 「結局、2人は忙しそうで渡せなくて。帰ろうかなってとき、出口に雑誌で見たことがある人がベロベロに酔って立っていたんです。それが当時〈ヴァンダライズ〉をやっていた一之瀬弘法さん。〈ヴァンダライズ〉もトガってて大好きだったから、勇気を出して『こういうの作っているんで見てくれませんか?』って声をかけたんです。そしたら『面白いね』って言ってくれたんだけど、ステッカーだと思ったらしくて、ずっと爪でカリカリしているんですよ(笑)。で、『ステッカー作りなよ。できたら事務所に遊び来て』って言ってくれて、舞い上がってすぐにステッカーにして原宿にあった事務所に持っていきました。それからは暇さえあれば事務所に入り浸ってましたね」