県大会2回戦負けからパキスタン代表監督に!25歳「非エリート」の野球人生
一方でプロとして活躍するうち、「自分はメジャーリーガーにはなれない」と才能の限界を感じるようになる。「引退して普通のサラリーマンとして生きる道を選ぶのか、それとも失敗するかもしれないが、挑戦し続けるのか」ー。自分にしか出来ないことは何なのか考え抜いて出した結論は、夢を見ない子どもたちに「自分のような生き方もあっても良い」と伝えることだった。 日本の野球界には、決まった一本の道筋がある。高校時代に甲子園に出るか、大学野球で活躍して注目され、ドラフトで球団入り。その後実力のある選手がアメリカの大リーグに挑戦するーといったものだ。「プロ野球選手になりたい」と夢見ていた子供たちも、この道からそれると野球と自分の生活とを切り離すようになり、夢を見なくなってしまう。「日本の野球人生は、選択肢が余りに狭い。夢を見ない日本の子どもたちの選択肢を広げるために、自分が生き方の一つの選択肢を示したい」。色川は2013年現役を引退し、若くして指導者となった。
外国人初のイラン代表監督に
宮城県で中学生の野球指導をしていた2013年、アメリカで知り合った知人の依頼で、イランの子供たちに野球を教えることになった。現地では熱心な指導が評判を呼び、イランユースの代表監督に就任。その実績が評価されて翌年、外国人として初のイラン代表監督に就任した。 就任当初は「色川は酒を飲んで全然イラン野球のために仕事をしていない」という根拠のない噂が流れ、現場に行くと皆が顔を背けた。「逃げ出したいほどつらかった」とき、自分はエリートではなく「ストリート」なのだ、と思い出した。彼らの文化をもっと知ろうと、国に用意された代表監督用の宿舎に閉じこもらず、イランの一般家庭に入って一緒に過ごし、街を歩き回った。普段の練習では午前9時集合なのにひとり午前7時に現れ、グラウンドを整備して選手たちに背中を見せた。選手たちを理解しようと、一人一人に徹底的に向き合った。 「技術的なことは、何も教えていません。他に仕事をしているプロではない選手たちを、いかにチームとしてまとめるか。本気で向き合うことがなかった人を、本気で向き合わせるというのは、日本でやんちゃな中学生を教えていた時と同じだった」 16年間で1勝しか出来なかったイラン代表は、2015年の西アジアカップで準優勝に輝いた。そんな色川の指導力は西アジアカップで優勝したパキスタン野球連盟の目に止まり、ヘッドハントされる形で今回、パキスタン代表監督に就任した。