マネスキンのダミアーノが語る、「動」の新曲となったソロ第2弾とアルバムの展望
9月末にピアノ・バラード「Silverlines」でマネスキン(Måneskin)からソロ・デビューを果たしたばかりのダミアーノ・デイヴィッド(Damiano David)が、早くも第2弾シングル「Born With a Broken Heart」を公開。1stアルバムに向けて、着々と駒を進めている。 【動画】ソロ第2弾「Born With a Broken Heart」MV 「Silverlines」のリリースに至る経緯はすでにダミアーノとの前回インタビューでお伝えした通りだが、まずはあの曲を送り出してからの動向を振り返っておこう。リリースと同時にプロモーション活動に勤しんでいる彼は、10月に入って早速テレビのトーク番組――地元イタリアの『Che tempo che fa』とアメリカの『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』 ――に相次いで出演し、パフォーマンスを披露。次いでマネスキンとのコラボでお馴染みのファブリツィオ・フェラグツォのプロデュースで、ストリングス隊を配して再アレンジした「Silverlines」の“オーケストラル・バージョン”も送り出した。原曲のスケール感を別のベクトルから引き出すこれまた素晴らしい仕上がりだったことは、ご存知の通りだ。 そしてまだその余韻が残るさる10月25日、ダミアーノは「Silverlines」で打ち出したイメージを、「Born With a Broken Heart」であっさりと塗り替える。ソロ・プロジェクトの第一日目から共に歩んできたきたというソングライターのサラ・ハドソン(ケイティ・ペリー、デュア・リパ)が引き続き共作者としてクレジットされ、プロダクションはラビリンスに代わって、米国人の売れっ子ジェイソン・エヴィガン(デュア・リパ、ジャスティン・ビーバー)が担当。ピアノという要素を「Silverlines」と共有しながらもこちらはアップテンポで、シンセ・サウンドを織り込みつつ微かにネオアコの甘酸っぱささえ帯びた、ニューウェイヴ・ポップに仕上げた。 アエリン・モレノ(テイト・マクレーの「think later」を始めダンス・シークエンスをフィーチャーした女性ポップスターたちの作品で知られる新進映像作家)が監督したMVのほうも、「Silverlines」の“静”に対し明らかに“動”の映像が対照的で、古風なハリウッド・ミュージカル映画にインスパイアされたのか、階段のセットで軽やかにステップを踏むダミアーノの姿に驚いた人も多いのではないかと思う。ちなみにエンディングに映し出される一文“The most solid pleasure in this life is the empty pleasure of illusion(この世で最も確かな喜びとは空虚な幻想の喜び)”は、調べてみると、19世紀のイタリアの詩人ジャコモ・レオパルディの言葉。逃避ファンタジーとしてのMVの成り立ちに言及しているようにも感じられる一方、見方を変えれば、過去1年間ソロ・プロジェクトに取り組んできた彼の心境を物語っていると解釈することも可能なのではないだろうか? というのもこの曲と「Silverlines」には、ピアノの音と並ぶ重要な共通項がもうひとつある。それは、マネスキンのフロントマンとして大きな成功を収めながらもダミアーノの心中は穏やかではなく、大きな葛藤と闘っていたことを物語るエモーショナルな重みであり、軽快な曲調とは裏腹に、歌詞だけを追うと「Born With a Broken Heart」は絶望の叫びとさえ呼べなくもない。前回のインタビューで触れていた「終着点からスタートして時間を遡って起きたことを辿る」というアルバムの筋書きを踏まえると、希望を取り戻すエンディング「Silverlines」の前段階にあたるわけだが、ここでの彼は“Baby you can’t fix me /I was born with a broken heart(ベイビー、君に俺を直すことは出来ない/俺は傷だらけのハートで生まれてきた)”というサビのフレーズが象徴するように、心に深い傷を負って感覚が麻痺している自分には、もう人を愛することができないのではないかと不安に苛まれているのである。あまりにも救いがないのではないかと指摘した時、ダミアーノは笑いながら次のように話していた。 「みんなが歌詞に耳を傾けるわけじゃないから楽しい曲に聴こえると思うけど(笑)、これも極めてパーソナルなストーリーで、アルバム作りに着手した時、僕が直面していた試練について歌っている。この曲を綴った当時は殊にダークな場所にいて、自分に与えられている愛情に応えることができない状態にあってね。そのことでひどく苦しんでいた。だから僕が抱いていた深い罪悪感について綴ったんだよ」。