6年連続ミシュランガイド掲載のおにぎり専門店「宿六」、フルート奏者の三代目が表現する味のハーモニー
■開店30分前から行列 「ここのおにぎりを食べたら、もうほかに行けないわ。私、前に来た時に4個目を注文したの。そしたら、食べすぎだって止められたのよ(笑)」 【写真】宿六のメニューは創業時からほぼ変わっていない ある平日の午前11時、東京・浅草にある「おにぎり浅草宿六」がオープンする30分前、すでに人が並び始めていた。先頭にいた女性に話を聞くと、浅草在住の常連さんだった。 店頭にあるメニューには「昼のセット」として、おにぎり2個と豆腐味噌汁(814円~)、おにぎり3個と豆腐味噌汁(1100円~)と書かれている。年のころは50代から60代、小柄で痩せているその常連さんは、最初におにぎり3個のセットを頼み、さらに追加で4個目を頼もうとしたらしい。 それほどまでに手が伸びるおにぎりって?と不思議に感じていたそのときの僕は、数十分後、自分が決して小さくないおにぎりを5個も平らげているとは想像もしていなかった。 太鼓のようになった腹を抱えて店の外に出ると、行列はさらに延びていた。その顔触れを見ると、グルメ情報を見て訪ねてきた若者風、地元住人風、外国人まで幅広い。 「おにぎり浅草宿六」は2018年末、「ミシュランガイド東京2019」でおにぎり専門店として史上初めてビブグルマンに選ばれた。ビブグルマンは、「5000円以下で価格以上の満足感が得られる料理」を対象にしたもので、宿六は初受賞から6年連続で選出されている。 さまざまなメディアが特集するほどおにぎり専門店が増えている昨今、ブームの先駆けとなったのが宿六といえるだろう。 鮨屋を思わせるヒノキの立派なカウンターのなかでおにぎりを握るのは、3代目店主の三浦洋介さん。彼は若かりしころから先代のもとで厳しい修業を積んで……きたわけではない。30歳までプロのフルート奏者だった三浦さんが昨今のおにぎりブームの先駆者となった異色の道のりをたどる。 ■宿六の由来 宿六は1954年(昭和29年)、三浦さんの祖母が開業した。東京で一番古いおにぎり専門店として知られ、ヒノキのカウンターや具材が並ぶショーケースは創業時からのものだ。 1979年生まれの三浦さんは早くに父親を亡くし、母親は祖母と一緒に店を切り盛りしていた。そのためお店で過ごす時間が長く、カウンターの端が指定席。幼稚園に通っていたころから小学生までは、学校から帰ってくると祖母がおやつ代わりにおにぎりを握ってくれた。カウンターで「ほぼ毎日」食べていたというそのおにぎりの味が、今も三浦さんの舌に記憶されている。 「母が握ったおにぎりと、祖母が握ったおにぎりの味は全然違います。いつも祖母が握ってくれていたから、僕に刷り込まれているのは祖母の味ですね」 ところで、「宿六」は「ろくでなし」という意味を持つ。まじめに働くタイプではなかった三浦さんの祖父を表す言葉として、祖母が店名にしたそうだ。そのお店で、祖父も時折カウンターに立っていたという。 「片隅に一升瓶と湯呑が置いてあってね。お客さんが注文すると、祖父は『売ってません』と断るんです。一升瓶には日本酒が入ってるんだけど水ということにして、その『水』を飲みながらおにぎりを握っていました。最高でしょ(笑)」 日本を代表する観光名所の浅草だが、三浦さんが子どものころは、昼間から飲んだくれがへべれけで歩いているのも珍しくない街だったそう。三浦さんもよく、祖父に近所の立ち飲み屋に連れて行ってもらったという。三社祭を愛する生粋の江戸っ子の三浦さんは、今よりもずっと下町情緒溢れる時代の浅草で育ったのだ。 ■日本屈指のフルート奏者に弟子入り 千葉県の中高一貫校に進学した三浦さんは、特に音楽が好きだったわけでも、楽器を習っていたわけでもなく、友人の「たこ焼きおごるから」という甘い言葉に誘われて吹奏楽部に入部。そこで、フルートに出会った。高校生になると吹奏楽部の部長も務め、市民楽団にも加わった。 「練習後に、飲み会があるわけですよ。高校生だから、500円で食べ放題。お前が大きくなったらちゃんと払うんだぞってね。そこで、大人と話すスキルを覚えました。音楽仲間だから、いわゆる先輩後輩、上下関係がない。年齢を超えた同格の仲間ができたのは、自分にとって大きな経験でした。練習は水曜日で、いつも早く水曜日にならないかなって思っていました」 部活だけでなく、市民楽団での活動も影響したのだろう。同級生の多くが大学に進学するなか、音楽の専門学校に進む。 「いずれ自分が宿六を継ぐとわかっていたから、30歳までは音楽の道に進もうと思ってね」 ところが、専門学校が肌に合わず1年の途中で中退。そのころ、あるコンクールでフルート奏者、荒川洋さんの演奏を聞いた。荒川さんは、パリ国立高等音楽院フルート科をプルミエ・プリ(第一位)で卒業、1998年に帰国後、故・小澤征爾さんに認められ、新日本フィルハーモニー交響楽団フルート副首席奏者に就任するなど、日本屈指のフルート奏者として知られる。 そのコンクールで荒川さんは優勝を逃したが、その音色に惹かれ、「すごくいい音楽をする人だな。俺の中では1位だ」とほれ込んだ三浦さんは、周囲の音楽仲間に荒川さんの連絡先を知らないかと尋ねまわった。そうしてなんとか電話番号をゲットすると、いきなり電話をかけて、「フルートを教えてください」と頼み込んだ。見ず知らずの若者からの依頼に、荒川さんは「いいですよ」と二つ返事で応じてくれたそう。 「若気の至りみたいなものじゃないですか。僕の5個上なんで、感覚は近いんですよね。亀戸のベローチェで初めて顔を合わせて、1時間ぐらい話をしたら、じゃあやろうって」 ■プロのフルーティストから宿六の三代目に 荒川さんのもとで学んだ2年間を、三浦さんは「楽しかった」と振り返る。自宅に通い、レッスンを受けるうちに打ち解け、一緒に食事に出かけるようになった。レッスンを卒業したあとは、一緒に遊びに出かける仲になった。 師匠のもとを離れた三浦さんは、主に音大の卒業生が集うセミプロのオーケストラに参加。企業のイベントやテレビの音楽番組に呼ばれるようなオーケストラで、謝礼をもらって演奏するようになった。同じタイミングで、生徒を集めてレッスンも始めた。 この時期からおよそ10年間、三浦さんは音楽だけで生活するプロのフルーティストだった。しかし、高校を卒業するときに決めた「30歳まで」という期限通り、30歳になるころ、おにぎり屋「宿六」のカウンターに立ち始めた。 もっと音楽を続けたいという気持ちはなかったんですか?と尋ねると、三浦さんは表情を変えず、「いや、思わないっすね。30になったらやめようと思ってたから」と答えた。 それまでお客さんにお茶を出す程度で、お店で一度もおにぎりを握ったことがなかった三浦さんは、幼少期から間近で眺め続けた祖母や母の手順をまねるところから始めた。 味の好みは人によって異なるし、おいしさの基準もない。だから、頼りになるのは毎日のように祖母が握ってくれたおにぎりを食べてきた自分の舌だった。しかし、祖母のおにぎりの味を再現しようとしているわけではない。 「クラシックっていろいろな指揮者がいて、同じ曲を演奏しても指揮者によって全然違うじゃないですか。おにぎりも同じで、僕は祖母や母から刷り込まれたものを自分なりに咀嚼して、自分が食べておいしいものを出しています。もちろん、子どもの時の記憶なんてそんなに詳しく覚えてないから、美化してるんですよ。これがおいしいんじゃないかっていう勝手な思い込みによってできているおにぎりです」 ■音楽と同じく大切にしている「理論」 「ぶっちゃけ、自分がおいしくないと萎えるんですよ」と笑う三浦さんは、変化を恐れない。あくまで自分基準のおいしさだから、その日の体調や気分次第でおにぎりの味が変わる。 それは、適当に作っているという話ではない。音楽、特に三浦さんが携わってきたクラシックは理論が重要視される。「理論を学ぶのが好き」という三浦さんは、「音楽の理論を知っているかどうかは、演奏を聞けばわかる」という。 「理論を知ったうえで常道から崩した演奏をするのはいいんです。でも、理論を知らずに崩すのはアウト。いくらそれっぽく演奏しても、こいつなにやってんだ?と思うよね」 三浦さんにとっては、おにぎりのレシピも変わらない。重視しているのは、理論。例えば、ご飯の炊き方に関しては、栄養学の専門家が書いた「でんぷんの分解の仕方」などに関する論文を読み、それを宿六の釜で再現するにはどうしたらいいのか、ランチ営業後の休憩時間に自宅に戻って実験する。 水温や気温、時間などによる炊きあがりの変化をチェックして、データを取る。おにぎりが縁となって炊飯器メーカーの技術者と顔を合わせたときには、炊飯方法の理論を教わったそうだ。お米も、新米が出るたびにひと通り食べてみて、宿六のおにぎりに合うものを選ぶ。 なにか大きな目標や野望があってここまでのアプローチをしているのかと思ったら、そうではないという。 「世界一うまいご飯を炊きたいっていう上昇志向はないね。ただ単においしいご飯の炊き方を知りたいだけ。基本的にオタク気質なんですよ(笑)」 ご飯の炊き方だけでなく、塩の加減などの実験データも、頭に叩き込んである。自ら試行錯誤して得たその数値をベースにしたうえで、日替わりの「おいしさ」が表現されるのだ。 ■宿六に外国人客が多い理由 宿六が「世界」にデビューしたのは、2015年のミラノ万博。日本館で「一般社団法人おにぎり協会」がブース出展することになり、協会から声がかかった。三浦さんが現地で行ったおにぎりのワークショップは盛況に終わったが、大勢の外国人が宿六の行列に並ぶような現在の様子は、想像もつかなかったという。 「皆さん、漫画で見るおにぎりを自分で作る、食べるという体験に興奮してるんだろうなと。もちろんおいしいとは言ってくれるけど、しょせんおにぎりだから寿司、天ぷら、とんかつには負けるなって思ってたんだよね。ここまで世界的に受け入れられるとは予想してなかったな」 ミラノ万博からしばらく後、海外のバックパッカーなら誰もがその名を知るガイドブック『ロンリープラネット』から連絡がきた。「日本の料理本を作るから、おにぎりのレシピを教えてほしい」という依頼だった。 快諾した三浦さんは、宿六のオーソドックスなメニュー、牛時雨のレシピを伝えることにした。通訳を介して、執筆者から電話取材を受ける。すると、先方から「一人前の分量を知りたい」とリクエストがあった。三浦さんは困惑した。 「20グラムの牛時雨をどうやって作るんですか?水5cc、酒5cc、それを火にかけますって、煮込めないでしょ!白米35グラム、水45ccで炊いてくださいって書くの?その100倍の量で作らないとダメだって、想像できますよね?」 それでも先方は一人前の分量にこだわるため、三浦さんはその通りに教えた。「外国人ってよくわかんないな」と感じつつ、日々の忙しさのなかでレシピ提供したことも忘れかけた2016年12月、ロンリープラネットが出版した『From the Source - Japan』が届いた。 それから、外国人のお客さんの割合がどんどん増えていった。多い日にはお客さんの半分、少ない日でも2割が外国人になった。 ■ビブグルマン受賞の反響に仰天 もともと日本人のお客さんで賑わっていたところに外国人のお客さんが加わったことで、宿六は行列の絶えない店になった。だから、三浦さんはまったく気づかなかった。そのなかにミシュランガイドの調査員がいたことに――。 ミシュランガイドの調査員は、身元を明かさないことで知られる。どこかのタイミングで宿六にも覆面調査が入り、高く評価されたのだろう。冒頭に記したように、2018年末に発売された「ミシュランガイド東京2019」で、おにぎり専門店として史上初めてビブグルマンに選ばれた。 その反響はとんでもないものだった。お客さんの数が一気に4倍、5倍になり、数十メートルの行列ができるように。浅草署から指導が入り、名前を記入して指定時間に来店する方式に変更したところ、1日分のおにぎりが11時半の開店と同時に完売する日が続いた。 ミシュランガイド掲載が発表されて間もない12月10日、三浦さんは宿六の公式サイトにこう綴っている。 「宿六は独りで握っています。一番遅い方で約2時間半(浅草をプラプラして)お待ちいただく状況となっています。また、独りで握ってますので限界はあります。売切御免です。予約も現在は受付出来る余裕が無いです。できることならほとぼりが冷めたころに来ていただけると幸いです。慣れない事してるので、けっこうつらい毎日が続いてますが、温かい目で見守っていただければ幸いです。」 受賞の混乱のなかで迎えた年明け、三浦さんはフルートの師匠、荒川洋さんのコンサートに足を延ばした。すると、アンコールの際に舞台上に呼び出された。そこで師匠が演奏したのは、三浦さんのために作曲した「Yadoroku」だった。 恐らくこのとき、宿六が2023年まで6年連続でビブグルマンに選出されると想像した人はいなかっただろう。 ■福島のスーパー・マルトとのコラボ ミシュランガイド掲載を機に、メディアの取材やイベント出演、企業とのコラボが急増した。なかでも三浦さんが継続的に力を入れている企画のひとつが、福島県いわき市に本社を置き、福島、茨城でチェーン展開するスーパーマーケット「マルト」とのコラボだ。 2020年にスタートしたコラボは、マルトの社長の息子、安島大司さん(現常務取締役)からのアプローチで実現した。安島さんによると、マルトは安島さんの祖父母が「地元を応援できるような商売をしたい」という想いで立ち上げた。 東日本大震災から9年が経った2020年当時も福島の農業が風評被害に悩んでいたことから、祖父母の思いを継ぐ安島さんは「福島の一次産業を元気づけたい」と考えていた。そのタイミングで、いわき市役所の職員から、いわき市のお米をPRする仕事を請け負うなど福島の復興に尽力してきた三浦さんの存在を聞いて興味を持ち、一度、宿六におにぎりを食べに行った。 「鳥肌が立つぐらいにおいしかったんです。しかも、映えるおにぎりではなく、素材のおいしさを最大限に引き出した、シンプル イズ ザ ベストのおにぎりでした。ほかのスタッフも今まで食べたことがないおにぎりだと絶賛していました」 宿六のおにぎりにほれ込んだ安島さんは、いわき市役所の職員を通じて三浦さんを紹介してもらった際、ストレートに「指導をお願いします」と頭を下げた。三浦さんは、その場で「じゃあ、頑張ってみましょうか」とオファーを受けた。迷いのない返事には、理由がある。 「僕は福島には肩入れしたいタイプなんで、福島じゃなかったらやらない。東日本大震災で被害を受けた東北3県のなかでも、原発被害のあった福島だけはお金じゃどうにもならないでしょう。時が解決するって言っても、先が見えないじゃないですか。50年かかるかもしれない。それなら、僕らもお金じゃなくて、できる範囲内で50年間は頑張らなきゃいけないんですよ」 江戸っ子の熱い心意気で仕事を請け負った三浦さんは、月に一度、マルトのいわきの店舗に通い、炊飯や握り方、おにぎりと具材の相性などを指導した。教え子は、マルトで寿司を作っていたスタッフたちで、白米を三角に握ることには慣れていない。そのなかで、三浦さんの試験に合格した人だけが店頭に出すおにぎりを握ることを許されるという厳しい審査を設けた。 一年後、驚くべき成果が出た。一般社団法人全国スーパーマーケット協会主催の「お弁当・お惣菜大賞2021おにぎり部門」で、最優秀賞を受賞したのだ。 2012年、スーパーマーケットや専門店を対象に始まったこのコンテストは、2021年の応募総数が4万2549件、おにぎり部門だけで3475件にのぼる。そのなかで、審査員を務める食の専門家からトップの評価を得たのである。これは、三浦さんが理論と科学的なアプローチを追求し、おいしいおにぎりの再現性を高めてきたからこその快挙だろう。 「1年で結果が出たから、ほんと良かったなと思って。そこからマルトがイケイケになって、今ではほかの総菜でも受賞してますから。もともと技術力はあったんで、あとはもっと洗練された味にすればいいじゃんってずっと言い続けてきたんです。そしたらほんといい感じになってきて」 ■1日2500個のおにぎりが売れた日 マルトの快進撃には、目を見張るものがある。2022年の「お弁当・お惣菜大賞」では、パン部門と寿司部門で最優秀賞を受賞、おにぎり部門含む3カテゴリーで入選。2023年には、おにぎり部門・寿司部門にて計3商品が入選。 さらに、日本食糧新聞社が主催する「ファベックス惣菜・べんとうグランプリ 2023」では計10品が受賞し、全国の応募企業の中から1社が選ばれる「デリカ総合金賞」を、東北の企業で初めて受賞している。マルトの安島さんはこの躍進について、「すべて三浦先生のおかげです」と語る。 「人手不足や総菜に使う原料の高騰など、どこのスーパーマーケットにも同じような課題があります。そのなかで、マルトは手間がかかっても本当においしいものを作れば認めてもらえるんだということを三浦先生に教えてもらって、成功体験を積むことができました。三浦先生との出会いがなければ、今のマルトはないと思います」 2023年11月に福島の郡山で開催された「第2回 おにぎりフェス」では、マルトのブースに三浦さんもゲストとして登場。2日間のイベントで、1日2500個のおにぎりが売れたという。 そして今年3月、新宿高島屋のタイムズスクエア店で開催された、全国各地の人気店約70店が集結するイベント「味百選」で、おにぎり浅草宿六とマルトがコラボで出展。これは、宿六に出展依頼があった際、三浦さんが「マルトと一緒なら」と提案して、マルトの東京初進出が実現した。 指導を始めて1年で最優秀賞を取ったあとも、三浦さんはマルトの背中を押し続けている。その理由は、この言葉がすべてを表している。 「福島には、死ぬまでずっと関わり続けなきゃいけないと思ってるんで」 義理人情に厚い三浦さんは、ミシュランガイド掲載前から付き合いのある人たちとの関係も大切にしている。仲のいい米農家が東京のデパートに出展すると聞けば、現場でおにぎりを握る。「自分が旬なうちに恩返ししとかないとね」。 ■宿六がお客さんの心と胃袋をつかむ理由 宿六のビブグルマン連続受賞とタイミングを合わせるように、おにぎりは全国的ブームになっていった。専門店が増えているだけでなく、ここ数年はコンビニの棚にもお米や具材にこだわった高値のおにぎりが並ぶ。東京で一番古いおにぎり専門店の三代目は、この傾向を「うれしい限り」と歓迎する。 「おにぎり業界が発展することは、僕にとっても非常に刺激になります。日々新しいおにぎりが出てきていつも驚かされますね」 競争が激化するなかで、おにぎりも差別化が進む。2023年末、グルメサイトを運営するぐるなびがその年の日本の世相を象徴する「今年の一皿」として発表したのは、「ご馳走おにぎり」だった。おにぎりで検索をかけると、高級な具材を使った豪華な「ご馳走おにぎり」のほか、「進化系」「変わり種」などさまざまな趣向を凝らしたおにぎりが登場する。しかし、三浦さんは宿六の定番を崩さない。 「イベントでおもしろいおにぎりを作るのはいいけど、自分の店では出しません。変わったおにぎりも、たまに食べるぶんにはいいでしょう。でも、普段食べたいと思うのって変わり種ですか?鮭おにぎりですか?そういうことです」 宿六のメニューに奇をてらったものはないし、そもそも創業時からメニューはほぼ変わっていない。それでも常連から新規まで客足が絶えないということは、定番の味を極めることが差別化につながっているのだろう……と感じていたのだが、取材の終わりに「味」だけではないことがわかった。それは、取材同行者の「おにぎりを出す順番ってどうしているんですか?」という質問から明らかになった。 例えば、おにぎり3つを頼んだ人に対して、三浦さんは「自分だったらこの順番で食べる」と考えて、おにぎりを出す。葉唐辛子とあみと梅干しを注文した人がいたら、「葉唐辛子とあみは佃煮だから、立て続けに食べたくない。だから2番目に梅を入れます。次に葉唐辛子とあみ、どちらを先にするかというと、あみのほうがエビの旨みが口に残りやすいんですよ。だから、葉唐辛子、梅、あみの順になります」 3個セットでさけ、いくら、たらこを注文した僕の場合、たらこ、さけ、いくらの順に出てきた。 「魚卵が続くと、イヤでしょ。だから間にさけを入れました。たらこのほうがさっぱりしているから、旨みの濃いいくらが最後になります」 基本的にいつも満席のお店のなかで、お客さんから注文が入るたび、一人ひとりがおにぎりを味わうのに最適な順番で提供する。この話を聞いて、個々の音色を際立たせるだけでなく、ほかの演奏者とのハーモニーが問われる音楽家としての姿勢を感じた。恐らく、この細やかな仕事に気づくお客さんは、ほとんどいない。しかし、この気遣いが食後の満足感に影響するのは想像に難くない。だからこそ、行列が絶えないのだろう。外国人旅行者のなかには、毎年お店に姿を現すリピーターもいるという。 フルート奏者として身に着けた理論的思考と繊細な調和を表現する感覚は、今も磨かれている。実はまだフルートの講師を続けていて、15人ほどの生徒を抱えているのだ。ミシュランガイドに掲載されるお店の職人で、楽器を教えている人はほかにいないだろう。人に指導するためには、自分をつねにアップデートし続けなくてはならない。それは、マルトでの講習にも通じること。「音」と「味」を究めた先に、宿六のおにぎりがある。 取材・文=川内イオ