永田裕志が初代タイガーマスクに恩返し!村上和成と“ストロングスタイルの象徴”をかけて王座戦へ?!
26日、東京都・後楽園ホールにて『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.30』が開催された。 今大会の目玉の1つは、新日本プロレスの永田裕志の初参戦。 平井代表はかねてより「永田選手の戦いこそストロングスタイル。佐山サトル総監が求めるものと合致している」と出場を打診していたが、悲願成就に至るまで10年近くが経過。 真樹日佐夫先生が主催する2009年『第12回梶原一騎杯 KICK GUTS 2009 BREAK THROUGH-12~突破口~』後楽園ホール大会で棚橋弘至&4代目タイガーマスク&岡田かずちか(オカダ・カズチカ)vs初代タイガーマスク&永田裕志&吉橋伸雄(YOSHI-HASHI)が行われていたが、佐山サトルと永田裕志が同大会で絡むのはそれ以来だという。 永田の参戦発表記者会見では、佐山総監が「気合い入れて頑張りたいと思います。こんな対戦は僕は夢のようです。永田選手は僕の後輩ですから、新日本プロレスの理想とする試合を敢行できる選手です。その選手と試合ができるということが最高に幸せです。あと1ヶ月しかありませんが、体調を整えて頑張りたいと思います」と自身が永田と闘うかのように冗談交じりに語るなど上機嫌の様子。 永田は「何度も参戦させていただきたいと思って色々動いたんですが、ようやくこのタイミングで尊敬すべき佐山先生の団体に出場することが叶いました。ストロングスタイルというのはプロレスのリングで闘う上での永遠のテーマ。ストロングスタイルという名前は新日本プロレスの伝統であり、その闘いというものを表す言葉ではある。2000年の半ば過ぎに一時期新日本プロレスでストロングスタイルは禁句のような雰囲気になりかけました。棚橋選手の“ストロングスタイルの呪い”という言葉で新日本プロレスの中でも消えかけたんですが、見てるお客様の中でやはり新日本プロレスの戦い=ストロングスタイルというものは消えたことはなかったと僕は認識しております。僕の闘いぶりを見せること=新日本プロレスのストロングスタイルに繋がるようなものになれば幸いですし、32年間僕自身も自分なりのストロングスタイルというものをずっと追求したものをリング上で披露できればと思っています」とストロングスタイルへの熱い想いを語っていた。 この日は、スーパー・タイガー&永田裕志vs間下隼人&関根“シュレック”秀樹のタッグマッチが実施。 初代タイガーマスクの一番弟子たるスーパー、二番弟子の間下、そしてMMAやシュートボクシングのリングにも上がってプロレスラーの強さを証明し続けているシュレックという“ストロングスタイル”を掲げるに相応しい顔ぶれが揃った。 永田は間下とのバチバチの蹴り合いを見せて場内を沸かせるが、シュレックが出てくると情勢は一変。 永田がローキックを連打していくが、シュレックはまさかのノーダメージ&ノーリアクションで仁王立ち。焦った永田がハイキックを放つも、シュレックはこれをキャッチしてコーナーへ投げ飛ばすという怪力無双。永田&スーパーを2人まとめてアイアンクローで絞り上げてあわやダブルKOを奪いかける。 永田が延髄切りで窮地を脱し、カットに来た間下をナガタロックIIで制圧。スーパーもチキンウィング・フェイスロックでシュレックを捕らえてサブミッションの競演。永田はスーパーのアシストに徹し。最後はスーパーがシュレックを牙斬(※ブレーンバスターで持ち上げ、前に落としながら顔面へ膝蹴りを見舞う)で3カウントを奪った。 試合を終えた永田は「今回の参戦は小林邦昭さんが僕自身を佐山先生に引き合わせてくれたことがキッカケですから。今から31年……32年ぐらい前ですかね?僕が蹴りを覚え始めたころに『佐山のところに連れて行ってやるよ』って小林さんが言ってくれて、大宮のシューティングジムに連れて行ってもらってそこで手ほどきを受けたのが最初で。そこから何度か教えを乞いにお邪魔しましたし、その後もいろんな会場でお会いしたときに佐山先生に声をかけていただけるようになって。まあ、佐山先生はUFOの一員として新日本プロレスに来られたときも、猪木会長と毎朝闘魂棒を持って佐山先生と一緒に多摩川をずっと歩いて合同トレーニングをやったり、その間に当時出だした総合格闘技の技術というものを一緒にやらせていただいたり。蹴りもそのときに教わりましたし、その他にもいろんな相手をテイクダウンする技術とか、そのタイミングとかを教わって。それもすべて小林邦昭さんが僕を佐山先生に引き合わせてくれたことがキッカケなんで。今日ももしかしたら小林さんが見ててくれているなら、僕がこのストロングスタイルプロレスに上がっていることを喜んでくれているんじゃないかと思ってます」と熱弁した。