向田邦子が描く「昭和の貧乏」の魅力的なリアリティ…その時代に「日本が経験していたこと」
もうすぐ生誕95年
今月11月の末(28日)は、作家・脚本家の向田邦子さんの誕生日です。1929年生まれ、今年で生誕95年を迎えます(1981年に逝去)。 【写真】昭和の満員電車のすさまじさ…! 社長秘書や映画雑誌の編集者を経て、やがてラジオドラマやテレビドラマの脚本を書くようになり、『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などの名作ホームドラマにたずさわりました。 エッセイの名手としても知られます。豊穣な記憶からつむぎだされる、映像が浮かび上がるようなその作品には、根底に悲しみとユーモアが感じられ、読んでいると独特の切なさがこみあげてきます。 向田さんの代表的なエッセイの一つが『眠る盃』。 本書に所収された「金襴緞子」という作品が印象的です。 〈三十年ほど前のはなしだが、母方の祖母が布団を拾ったことがある〉 という魅力的な書き出しからはじまる本エッセイは、向田さんの祖母が、現在のホテルオークラがある六本木のあたりで、トラックから落ちた金襴緞子の布団を拾うという話です。持ち主も見つからなかったので、向田さんがその布団を譲り受ける……という、なにげないと言えばなにげない内容。 しかし、それがじつに豊かな作品となり、まるで時代を映す万華鏡のように見えてくるのが向田マジックです。向田さんは、〈溜息が出るほど安物〉であるその布団にくるまって眠った、自分と日本が貧しかった時代を、こう振り返ります(「溜息が出るほどの安物」という表現のすばらしさに溜息をもらしてしまいますね)。 〈明るいかと思えば暗く、豊かになったようでまだまだ貧しかった。現実をどう掴み取っていいか判らないひ弱な自分の気持をいじめるように、毎夜このうさん臭い金蘭の布団にくるまって眠った。 すいとんと学生アルバイトで疲れ切っていたせいか、色っぽい布団を掛けながら、なまめいた想像にふけるゆとりもなく、気がつくと朝になっていた。布団の綿は、いつも四隅に寄っていた。今にして思えば、これが私の青春であった。 此の頃、ホテルで食事をするとか人に会うという時、私はホテル・オークラで、ということが多い。ゆったりしたこのホテルの雰囲気が好きなこともあるが、気持のどこかに、帰り道に、「あの場所」を通る、ということがあるようだ。 お天気のいい昼下りなど、ホテルを出たタクシーが六本木に向って道なりに曲るところで、私は、いつも、 「もっとゆっくり走って下さい」 と運転手さんに言いたい衝動を押える。 このあたりで祖母は布団を拾ったのだ。〉 ホテルオークラで会合をするようになっても、どこか自分のなかには、貧乏だったころの経験が沈殿している気がする……そんな、なつかしいような、ちょっと後ろめたいような気分が、このエピソードからは伝わってくるようです。 本エッセイが「小説新潮」に発表されたのは、1978年1月のこと。日本は高度経済成長を終え、やがて第二次石油危機を迎えようかというところです。 戦後の復興を経て、圧倒的に豊かにはなったけれど、その繁栄の底には、戦後の貧乏や苦労が沈んでいるように感じられる。貧乏や苦労を忘れてしまうことには欺瞞を覚えてしまう。そんな空気が当時にはあったのではないかと、戦後にたいするイメージを豊かにふくらませてくれる一編です。
古豆(ライター)