“今観るべき”映画を上映するワンオペ雑食性ミニシアター:広島 横川シネマ編
観客に作品を楽しんでもらうだけでなく、映画の多様性を守るための場所でもある映画館。子供からシニアまでが集まる地域のコミュニティとしての役割を担う劇場もある。 【画像】毎日ワンオペで営業している、広島・横川シネマ支配人の溝口徹 本コラムでは全国各地の劇場を訪ね、各映画館それぞれの魅力を紹介。今回は広島県広島市の横川駅から徒歩3分の場所にある横川シネマを取材した。ワンオペで劇場を運営する支配人・溝口徹氏が、名画座・成人映画館としての歴史や、横川の街とのゆるやかなつながり、「人生変えてやる」という思いを秘めた編成のこだわりを語る。 取材・文 / 脇菜々香 ■ 名画座としてスタートし、5年持たずに成人映画館へ ──今回、「ひろしまアニメーションシーズン2024」(8月14日から18日にかけて開催)の取材で広島に来て、コンペティション部門の会場ということで横川シネマさんに初めて訪れることができました。本当に溝口さんお一人で運営されているんですね。 1人でやるようになってからもう20年ぐらいですね。忙しいときは接客も塩対応になってしまっていると思うんですけど、映画ファンの皆さんに甘えながら……よく許してもらっているなあと思います。 ──劇場前には上映中の「骨を掘る男」「クオリア」「ソイレント・グリーン」(※取材時)などのポスターがあってとても魅力的なラインナップなのですが、まずは映画館の成り立ちから教えてください。 創業は1967年の7月です。ここは横川商店街の持ちビルで、建てるにあたって地場の興行会社さんがお金を出し合って作ったのが最初です。名画座としてスタートしたんですが、映画館自体は斜陽産業だったから、5年も持たずに成人映画館に転換しました。 ──名画座の時代には、どういった作品をかけていたのでしょうか? 当時の支配人は王道の娯楽映画が好きな方だったので、洋画中心で西部劇やアクションもの、ハリウッドスターがいた時代だからスター映画もやっていたと思います。名画座だったときは3本立てで営業していたんですけど、その1本を成人映画にして……と徐々に変わっていき、1970年代の頭ぐらいには完全に成人映画館になりました。1999年の11月に僕が支配人になるまでですね。 ──成人映画館の時代が30年近くあったんですね。 そうですね。僕が来た頃は「横川シネマといえば成人映画館でしょ」というイメージでしたし、年配の方にはいまだに言われます。だから最初は名前をそのままにするかちょっと迷いました。ただ、リニューアルといってもそんなに内装が変わるわけでもないし、横川というわかりやすい地名の入った名前で目立ったほうがチャンスはあるんじゃないかと。あと、当時ネオン管だった表の看板がかなりかっこよく、名前を変えたらこれも変えないといけないのか、という思いはありました。 ──今ある看板もネオン管なんですか? 2014年の改装時、「(ネオン管だと)何かあったときにもう直せないよ」という話になってLEDに変わりました。 ■ 自分の好きな映画が手付かずだぞ ──1999年に溝口さんが支配人になった経緯も教えてください。 生まれてからずっと広島市内にいるんですけど、10代の頃からすごく映画が好きで、地元の大学に入ってからはサークルのツテで映画館でアルバイトをしていました。最初は東映の直営館で働いていたんですけど、広島大学の人たちがタカノ橋日劇という映画館でやっていた日活ロマンポルノの名作映画の上映会みたいなものに首を突っ込んで、その映画館でもお手伝いをするようになったんです。大学を出て地元で就職してからも、休みの日に「人いないから手伝って」と言われたときはタカノ橋日劇で受付をしていました。だいたいの広大生が実家に帰っちゃう正月も手伝っていたし。社長に「よっぽど映画が好きなんだろう」と思われたらしく、(別の運営劇場である)広島ステーションシネマで働かないかと誘われました。それでステーションシネマに就職したんですが、ルーティンばかりで退屈だったから、だいたい20時半か21時ぐらいに営業が終わったあと、レイトショーの枠として自分の好きな映画を上映させてもらうようになったんです。 ──ステーションシネマのレイトショーでは、どんな作品を編成していたんですか? 今も一緒ですけど、広島のほかの劇場でかからない作品。そのときはインディーズの日本映画が全然相手にされていないというか、やってもキネマ旬報でベスト10に入ってやっと公開、みたいな1年ぐらいのラグがある状況。評価された映画しか観られない感じが気持ち悪いと思っていたし、そこを取りに行っても怒られないだろうと。自分の好きな映画が手付かずだぞ、みたいな感じだったから、モチベーションも含めて始めやすかったですね。自分勝手に編成して、配給会社さんとの折衝とか、宣伝とか、ひと通りのことを経験しました。5年ぐらいやっていたんですが、ビルのリニューアルに合わせて映画館が撤退しなきゃいけなくなり……ほかの仕事はやったことがないし、既存の劇場に入れてもらってもうまくやっていけないだろうから、同じ社長が管理している横川シネマで働けないかと相談しました。粘ったおかげなのかわからないけど、最終的には「やってみるか……」となった。 ──最初に横川シネマに行きたいと話したときって、まだ成人映画館でしたよね。 そうです。ただ、自分がステーションシネマのレイトショー枠でやっていたことを、今度は劇場全体のコンセプトとしてやりたいっていうのを社長に言っていました。やれるんじゃないかと、ちょっと楽観視もしていた。配給会社さんに月額を払って編成してもらい、バイトだけで回していた成人映画館時代の方が、売上にはなっていたんですけどね。もともと横川シネマで映写・受付バイトをやっていた友達と、ステーションシネマでずっと受付をされていた年配の女性と3人で始めました。 ──そこから人員が抜けても補充することなくお一人で続けてきたということですが、横川の街の人とのつながりはあるんでしょうか。 この30年ぐらいの間に、広島市立大学という芸術系の学部がある大学が開校したり、横川駅が大々的にリニューアルしたりして、街から何かを発信する機運が盛り上がりました。その一環で映画館があるということを面白がってもらったんだと思います。ぴあフィルムフェスティバルに入選した市大生が、その入選作品の上映イベントを企画して満席にしてくれたり。うちの劇場は広いので音楽ライブをやりたいと言い出す友人もいましたし、箱として自由にいろんなことをやっている時期もありました。あと飲食店など異業種の同じ世代のコミュニティに手伝ってもらうこともあるんですが、干渉し合う関係性ではない。べったりしていなくてずっと居心地がいいというのはあります。ほかの地域だったらたぶんこうはならなかったと思うし、劇場の名前も変えなくてよかったと思いましたね。 ──外壁の絵も街の盛り上げと関係あるのでしょうか。 前述のぴあフィルムフェスティバルに入選した監督に横川商店街がオファーして自主映画を作るなど、横川が“アーティストに優しい街”を標榜し始めるんです。そこで交流を持っていたいろんな表現者の中にSUIKOさんというグラフィティアーティストがいて、このビルのオーナーである商店街の依頼で彼が描いてくれた絵です。 ■ ここ5年、10年の休み=マキタスポーツの単独ライブの日 ──劇場のハード面についてもお聞きしたいです。ゆったりした席で居心地がいいですよね。 70席の1スクリーンで、音響は(2014年の)改装のどさくさでそろえた5.1chです。やっと一般の劇場さん並みになったと思うんですが、リニューアル前の最後のほうは珍しい作品を上映したすぎて、客席にプロジェクターを置いて、ライブ用のスピーカーから音を出していたことも。VHSの素材を上映することもあったし、「ここでしか観れないから許して」とかなり乱暴な営業をしていました。その頃はそれしかないから迷わなかったけど、今思えばひどかった……。ただ、スクリーンに映してしまえばなんでも「映画」になる、という野蛮な包容力が映画館にはあるはず、なんてことも考えたりしています。 ──ハード面であきらめずに貴重な作品を上映してくれるのは、溝口さんがお一人で編成・運営しているからこそだと思います。ちなみに映写機はいつからデジタルなんですか? DCPの映写機を入れたのは2014年のリニューアルのときなので、今年でちょうど10年です。そこにつないでいるスピーカーは私物……というか、ほかの劇場さんが閉館したときに「破棄するしかないから溝口くんが自分で持って帰るんだったらあげる」と言われて持っていたもの。業者さんが見てもすごくいいものなので、改装工事のときに設置してもらって、それを今も使っています。 ──「ひろしまアニメーションシーズン」の際にはコンペ部門の会場にもなっています。これは前身である「広島国際アニメーションフェスティバル」のときからですか? 「ひろしまアニメーションシーズン」になってからなので今年が2回目でした。ほかの劇場は条件面で折り合わないとかもっとシビアなはずなんですけど、僕は「いいんじゃないっすか?」と(笑)。これだけ分厚く面白い企画を立ててくれているのはすごいし、(映画祭プロデューサーである)土居伸彰さんたちへのリスペクトの意味でも場所ぐらいは提供したい。そのぐらいしないとバチが当たるぐらい面白いことをやっていると思います。 ──国際映画祭なので、日本全国・世界から観客が来ますよね。 韓国の学生さんはやっぱり熱心に来てくれる。こっちの学生さんよりも熱があるし、面白がってる感じもすごく伝わるから、彼らプラス地元の人たちでこの客席が埋まればめっちゃ面白いのにというのはちょっと思いますね。 ──今さらなんですが、お一人で毎日営業ということはお休みがないってことですか? 休む意思がないわけではないんです。どこで休んでいいかわかんなくなっているだけです。観たいライブや舞台があります、行きたいところがあります、みたいな言い訳がないと休めないじゃないですか。定休日にすると、その日と合わなかったらもうあきらめるしかないでしょ? ──いや、お一人で営業されているのはわかっているので、定休日を作った場合も、それ以外の日に大事な予定が入れば休んでいいと思います。会ってまだ間もないですけど、自分にすごく厳しい方ですよね(笑)。 甘やかしちゃダメです。映画祭期間はお客さんがいつもより少し多いですけど、普段は少ないでしょう。1日中座っているだけなので、一般のお勤めの方に比べたら楽。そう思ったら、ずっと休みのような気もするしね。マキタスポーツさんの単独ライブの東京公演は必ず行っているので、ここ5年、10年の休みは彼のライブの日にちを調べたら全部わかります。ちなみにマキタさんは、売れる前も、ライブ活動を増やすようになった最近も変わらず声を掛けてくれています。 ■ 広島が舞台の映画「KYロック!」監督・前田多美、主演・加藤雅也との縁 ──10月12日からは、広島が舞台の映画「KYロック!」が横川シネマで先行上映されていますよね。 劇場として制作をバックアップしているわけではないですけど、監督の前田多美さん・主演の加藤雅也さんとはそれぞれ関わりがあり、横川でのロケもあって、ここで上映したいと言ってもらいました。前田さんは、MOOSIC LAB(音楽×映画の作品を生み出す映画祭プロジェクト)が立ち上がったばかりのとき、広島のバンドとコラボレーションする平波亘監督の作品の撮影で東京から俳優として来られていたんです。僕もお手伝いをしていたのでそこで知り合ったのですが、その後なぜか彼女は広島に移住するという決断をして。監督デビュー作となった「犬ころたちの唄」を撮ったときは、この劇場もロケ地になりました。移住する前から関わっている人だし、移住後も冠婚葬祭などで困ったときに店番を引き受けてもらうこともあったので、身内意識はあります。 加藤さんは、広島が舞台の「彼女は夢で踊る」と「愚か者のブルース」で主演していて、2作ともうちで上映しました。そもそも加藤さんは、ある主演作の舞台挨拶でうちに来たときに時川英之監督と出会って「彼女は夢で踊る」の企画が動き出したんです。前田さんは「彼女は夢で踊る」にキャストとして参加し、パンフレットの編集など裏方の手伝いもしていました。前田さんと加藤さんがタッグを組んだ「KYロック!」のもう1人のメインキャストであるミカカさんもこのへんでよく飲んでいるミュージシャンですし、関わる意味があると思ってやっています。 ──東京だとあまり聞かないですよね。地域に根付いて作品を作ってる人やその地の劇場ならではのエピソード。ちなみに「KYロック!」はいかがでしたか? 誰かが言っていたことで、僕も共感したんですけど、有名人も、このへんにいるよく知っている人もフラットに映画の中で生きてる感じがすごくよかった。音楽も重要な要素なんですが、地元のミュージシャンたちの音楽と、誰もが聴いたことのあるような曲が、同じように劇中の生活の中に溶け込んでいる感じが不思議でした。前田監督は、今はここで暮らしている人だけど、よそから来た目線も持っているだろうから、それもあるのかな。 ■ 「人生変えてやる」という意地悪な気持ちを隠しつつ「いらっしゃい」 ──そのほかの上映作品の話になりますが、横川シネマの基本コンセプトは「洋邦問わず、知名度には乏しくとも見どころの多いインディペンデント作品を中心に、レアな映画の愉しみを発掘する雑食性ミニシアター」ですよね。溝口さん自身はこれまでどういう映画に惹かれてきましたか? 理想は、普遍性と同時代性が両立しているもの。この先も色褪せることはないであろうと思うぐらい表現が力強い作品ってあるじゃないですか。それと“今観るべき”というのがバチッとハマっているところに立ち会えたら一番いいと思っています。ドキュメンタリーを上映することが増えたのもそういうことなのかな。僕自身は小学生のとき、暗い映画館にビビりながら観に行った「銀河鉄道999」にものすごく圧倒されたんです。こうした“バチッと合った”経験ができるのが一番いいんじゃないかなと思うので、「人生変えてやる」「後戻りできないようになってしまえ!」という意地悪な気持ちを隠しつつ「いらっしゃい」とお客さんを迎えています。 ──そんなたくらみがあったんですね……! その人個人に引っかかる何かや、活力になれるチャンスはあると思うんです。今はなかなかないですけど、2本立てで観に行って、楽しみにしていたほうじゃない同時上映の作品に価値観が揺さぶられる、みたいなことがしたい。言い方は悪いんですけど、わなを用意してかかるのを待っている感覚なのかも……性格悪いので。 ──性格が悪い人は、自分で「性格悪い」って言わないと思います。 それも見越して予防線を張っているだけかもしれないですよ(笑)。