「救急車を呼びますか?」「入院しますか?」…施設介護は”選択”の連続!”最期”の選択で後悔しないように心がけるべきことは?
2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。 【漫画】くも膜下出血で倒れた夫を介護しながら高齢義母と同居する50代女性のリアル 介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。 『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第19回 『「親御さんが死にかけたとき、治療は必要ですか」…入居前に介護職員が投げかけた、家族の“覚悟”を問う質問』より続く
ひとつの選択がどんな意味をもつか
さて、施設入居後「感染症を起こして高熱が出た」とか「転んで骨折した」といったアクシデントが生じると、いよいよ具体的な選択の場面がやってきます。その際、 「救急車を呼びますか?」 「入院しますか?」 「再びここに戻ってきますか?」 といった質問を通して家族の意思を確認すると同時に、 「救急車を呼べば、救命を目的とした病院に運ばれますよ」 「入院すれば次から次へと検査や治療が行われますよ」 「施設に戻ってくるということは、医療よりもその人らしい生活を求めたということですよ」 と、一つひとつの選択がお年寄りや家族にとって、どういうことにつながるのかを、わかりやすく、なおかつ強く印象づけるような言葉をかけます。
最期を迎える心の準備とは
こうした選択とその結果として起こることを体験することは、家族にとってはいずれ迎えるターミナルステージのための心の準備になります。そして、 「今回は病院の言う通りにしてしまったけれど、もっと私たち家族の希望を伝えればよかった」 「手を縛られて点滴されていたけれど、あんな姿は2度と見たくない……」 といった、体験を通じてとらえることのできた現実を知れば、それはターミナルステージを迎えたときに活かすことができます。 とはいえこのような段階を経てターミナルステージを迎える人ばかりではありません。入居して間もなくその時期がやって来る人もいれば、ずっと元気で病院とは無縁だった人が、一気に弱ってしまう場合もあります。 そうなると、家族は混乱したまま、次々と選択を迫られ、追い詰められていくように感じる場合もあります。ですが、ターミナルステージの迎え方を前もって少しでもイメージできていれば、混乱は少なくてすみます。 以降の回では、施設に入居しているお年寄りがターミナルステージを迎えたとき、家族が直面する迷いや混乱を具体的にみていきながら、来るべきときに備えてどんな心構えでいたらいいのかを考えていきましょう。 『「鼻に鉛筆を挿すのと同じ痛み」…「口から食べられなくなった」先にある『チューブ』につながれた生活』へ続く
髙口 光子(理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士・現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表)