東大に合格し在学中に司法試験にも合格…「エリート街道」を駆け上がった法学者が「本当はやりたかった事」
父「おまえには裁判官以外は務まらない」
しかし、実をいえば、本当にやってみたかったのは、文学部での社会・人文科学の研究だった。今考えても、本来ならそれが一番自然だったのではないかという気がする。文学部ではなくとも、最初から法学部の学者をめざしてもよかっただろう。本当をいえば、私は、およそ宮仕え向きの人間ではなかった。 しかし、両親は、当時はまだいわゆるエリートの試験であった司法試験に息子が合格したことにいたく満足していたし、また、私が裁判官になることをも強く望んでいた。 父は両親を早く亡くして後見人に多額の遺産を蕩尽されたことから高等教育を断念した人間であり、能力もプライドも高かったが、世の中に対しては屈折した心情を抱いていた。行政官僚を憎み、軽蔑しながら、裁判官はすばらしいと思ってしまい、また、私が裁判官をやめたがると、いつも、何とかそれを思いとどまらせようと必死だった。 「おまえには裁判官以外は務まらない」というのが父の口癖で、普通のサラリーマンが務まらないだろうことは私にもよくわかっていたが、学者が務まらないというのは、全くわけがわからなかった。 要するに、なぜかはわからないが、学者にはなってもらいたくなかったのだろう。また、私が学生の時点では、子どもが学者の道に進む経済的余裕は私の家庭には乏しかったことも事実である。 司法試験に合格した後に裁判官を選んだのは、法曹三者、つまり、裁判官、検察官、弁護士の中ではそれがまだしも自分には向いているだろうと考えたことが大きく、また、前記のとおり親の勧めもあったが、今思うと、そのほかに、ことに当時は法曹三者の中でも一段高いものとみられていた裁判官として成功したいという隠された上昇志向があったことも否定できない。 それは、両親から私に、屈折した形で潜在的に受け継がれたものだった。 このような隠された、しかし根深い上昇志向は、左派の人々までをも含めて、日本の優等生にきわめて特徴的、一般的なものであるが、私もまた、その例外ではなかった。 幼いころから数多くの書物を読み、あらゆる芸術に親しんできたにもかかわらずである。 『“医師”と“製薬会社”がグルになって不正を…《癒着》が引き起こした恐るべき薬害『クロロキン事件』とは』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)