清原和博氏の長男・プロ入りをめざす清原正吾を語る上での三つの視点 「覚悟」「進化」そして「マルチアスリート」として
「マルチアスリート」という価値
清原は野球から離れていた期間をまったく悔いていない。「バレーもアメフトも楽しかったので」と、むしろ他競技で過ごした日々を大切にしている。 異なる競技の経験が野球に生かされているところもある。たとえばアメフトのスローイングだ。アメフトのボールは、より体幹を意識しながら、理にかなった投げ方をしないと真っすぐ投げられない。野球でもスローイングを矯正するために、アメフトのボールを使う選手がいるが、高校時代に毎日のように投げていたからか、清原は送球能力が高い。一ゴロを捕球した後、3-4-3のダブルプレーで二塁に送球するときも正確だ。 堀井監督によると、清原の正確な送球は、3年時でレギュラーに抜擢(ばってき)する際の決め手の一つになったという。「(守備のエラーで比率が高いとされる)送球ミスがない選手なので。送球を含めた守りが安定していなかったら、起用しなかったでしょう」 高校レベルでもサインが100以上あるというアメフトでは、フィジカルとともに「考える力」も鍛えられた。「このサインの時はこうアジャストしようと、いつも先のことを考えてました。それは体に染み込んでいて、野球に戻ってからも、常に考えながらプレーをしてますし、練習でもそうですね」 かつて、ボー・ジャクソンという選手がいた。1980年代後半から1990年代にかけて、同時期に野球とアメフトを兼務し、MLBで8年間、NFLで4年間プレーしたマルチアスリートである。話題を集めていたのは清原が生まれる前だが、「そういう人がいたというのは聞いたことがあります」。 もちろん、ボー・ジャクソンは比較対象にはならないが、清原は高校時代、慶應高校アメフト部で攻撃のオールラウンダーであるタイトエンドとして活躍した。3年時は神奈川選抜にも選ばれている。そして野球では、東京六大学リーグのベストナイン。清原は二つの競技で結果を残し、「一筋タイプ」が主流の日本ではなかなか例がない、マルチアスリートになった。 大きく言えば、清原は一人の野球選手ではなく、スポーツ界にインパクトを与えたアスリートである。他競技をしていたが、また野球をやりたい。高校では野球をしなかったが、大学でやりたい。清原の影響を受けて、これからそういう選手が出てくるかもしれない。 これからどこまで行くのか。常識を覆してきた清原の未来は誰にも予測できない。
上原伸一