長嶋一茂は「今は超一流」 名伯楽の心残り…生かせなかった素質「練習は凄かった」
「何するんですか」…長嶋一茂の言葉に「何もしていないからだろ」
「膝のところにロープをつけて引っ張っても、腰が開かないようにロープを腰に巻き付けて後ろから引っ張って早く緩まないようにしても駄目でした」。早出練習もさせた。「『なぁ、一茂よ、練習というのは自分で考えてやる時間が必要なんや。だけど、俺はお前が早く出てきて自分で工夫してやろうとしているのを見たことがない。どうだ、明日からやってみないか。俺も来るから』って言ってね。そしたら次の日から来ましたよ。1時間くらい早めにね」。しかし……。 「早く来て『室内に行ってきまーす』って行きましたよ。でも10分もしないうちに戻ってきた。『マシンがセットしていないですよぉ』ってね。『バカヤロー、それも自分でやるんだよ』と言いましたけどね。3日も続かなかったんじゃないかなぁ」。キャンプ中に叱りつけたこともあった。「みんながクールダウンしている時に一茂は何もしていなかったんですよ。あんなに体が硬いのに。それで後ろに回って『何やっているんだ、ちゃんとやらんかぁ』ってどつきました」。 それは伊勢氏が唯一、選手に手を上げたシーンだったという。「一茂が『何するんですか』と言うから『何もしていないからだろ』って言いましたよ」。長嶋ジュニアだからといって遠慮はしなかった。「とにかく、この素材を花開かせる方法はないだろうかと、そのことばかりでしたね。だから、何もやろうとしないと余計、歯がゆかった。ノムさんのミーティングの時もちらっと見たら漫画を書いていましたからね。ノートも1冊どころか1枚もないんじゃないですかねぇ」。 1991年2月、宮崎・西都でのヤクルトキャンプでは長嶋茂雄氏を招き、一茂の指導をお願いした。「一茂の場合は私が言うより、親父に言ってもらう方が効き目があるかと思ってね。私が長嶋さんに電話しました。『一茂を指導しにきてやってくれませんか』ってね。来てくれましたよ。西都は大騒ぎでしたね」。これは野村監督からの指示ではなく、伊勢氏が考えたこと。ライバル関係にあった野村監督と長嶋氏は和やかなムードではなかったという。