加護亜依は勝新太郎、広末涼子は無頼派、上戸彩は特別賞の特別賞…筋金入りのアイドル評論家が明かす「アイドルになるためのルール」とは
推す力 人生をかけたアイドル論#1
「おたく」という言葉の名付け親として知られ、アイドル評論家として40年以上活動を続ける中森明夫さん。日本を代表するアイドルの語り部が、自身の人生とアイドルの歴史をリンクさせた集大成ともいえる新著『推す力 人生をかけたアイドル論』を刊行した。陰に日なたにアイドルを応援してきた中森さんに話を聞いた。(前後編の前編) 【写真】21歳の加護ちゃんが「におってくるのがいいんだよね」と自らいった写真集
想定外だった上戸彩の「審査員特別賞」
――『推す力』はこれまで中森さんがアイドル評論家として活動する中で、アイドルを応援してきた事例がいろいろと挙げられていて興味深かったです。なかでも、1997年の「第7回全日本国民的美少女コンテスト」で選考から漏れかけた上戸彩さんに、中森さんがねばって賞をあげたというエピソードには驚きました。 中森明夫(以下同) 当時、上戸彩は11歳でね。審査員長は小林亜星さんで審査委員にコシノジュンコさん、立木義浩さん、マックス松浦さんがいて、なかでは僕と新井薫子が一番下っ端だったんじゃないかな。 上戸彩はその年の「審査員特別賞」になったんだけれど、実は池端忍という子がすでに決まっていて、上戸彩は何の賞にも選ばれていなかった。でも、僕は絶対あの子がいいと思っていて。オスカーの古賀誠一社長(現会長)もいいと思っていたんですよね。「でも審査員特別賞を2人選ぶとなると、表彰状とたすきがないんだよな」と。 だから、あの時の授賞式の写真を見てほしいんだけど、上戸彩は表彰状ももらっていないし、たすきもしていない。だから、本当は審査員特別賞のさらに特別賞なんです。よく「最初から決まっていたんでしょ」とか言われるけど、全然そんなことなくて。あの時、僕が強く言わなかったら上戸彩は選ばれていなかった。 でも、その後に上戸彩が大ブレイクして、小学館から『上戸彩物語』という漫画が出たんだけれど、古賀社長が目をキラキラさせたキャラクターになって「この子だ!」って言ってるシーンがあるんです(笑)。審査員は完全に影になっていて、歴史の捏造だよって思った(笑)。