『GTOリバイバル』反町隆史は何をリバイバルしたのか 時を経ても変わらない名作の核心
教師らしさの対極を行く鬼塚英吉(反町隆史)
『GTO』は学園ドラマに新たな風を吹き込んだ。同作の後も、『ごくせん』(日本テレビ系)、『ドラゴン桜』(TBS系)など、時代に応じて型破りな教師が登場したが、それらと98年版そして今作がどう違うかと問われると、教師らしさの度合いと答える。リバイバル版を観て改めて感じたのは、鬼塚がまったく教師に見えないことである。ケンカ、暴走、ギャンブル。悪いことを一通り履修した鬼塚は、それなりに丸くなった今も自身のあり方を変えていない。デリバリーの配達員がしっくりくる、いい年をして何をしているかわからない風貌も含めて、どう見ても教師ではないのだ。「30の高校をクビになった」はキャラ設定として説得力があった。 アンチ教師としての教師、という点で反町隆史の鬼塚は完璧だった。生徒の家の壁をハンマーでたたき壊すことも、生徒のために背中を貸して踏み台になることも、教師が絶対にやらなそうなことをやる点で、まさしく鬼塚英吉そのものだった。反対に、ブランドもののバッグをチェーンソーで切り刻む行動や、本来、感動的な台詞であるはずの「お前は最高に優しいやつだ」や「ガキの頃にできた傷はガキの頃に治してやんないと」は、こそばゆさも手伝ってやや上滑り感があった。岡崎紗絵演じる担任の綾原のほうが、教師に求められる役割をストレートに体現していた。リバイバル版は、はからずも『GTO』という作品のコアにあるものを浮き彫りにしたことになる。 令和の今、言葉と情報が氾濫しているにもかかわらず「言いたいこと」はより言いにくくなっている。反町隆史がBLUE ENCOUNTとともに歌う主題歌「POISON」が新鮮さを失わない時代に、鬼塚英吉という架空の教師に託す物語があることを『GTOリバイバル』は明らかにした。
石河コウヘイ