久野遥子、山下敦弘、いまおかしんじが振り返る、『化け猫あんずちゃん』完成までの長い道のり
イラストレーター、漫画家としても活躍しているアニメーション作家の久野遥子と、独特のユーモアセンスと温かい人間描写で人気の映画監督、山下敦弘。2人が共同で監督した長編アニメーション『化け猫あんずちゃん』が公開中だ。原作は独特のゆるい世界観で多くのファンを持ついましろたかしの同名漫画。脚本は山下監督の『苦役列車』(13)を執筆した、映画監督でもあるいまおかしんじが手掛けている。 【写真を見る】森山未來が、37歳の“化け猫”に!実写からアニメへ、驚異の変身ぶりに驚愕 お寺で暮らす37歳の化け猫、あんずちゃん(声・動き:森山未來)のもとへ、母親(声・動き:市川実和子)を亡くした和尚さんの孫娘のかりん(声・動き:五藤希愛)が都会からやってくる。「母親の命日には迎えに来る」と約束したはずの父親(声・動き:青木崇高)だったが命日に帰って来ず、かりんは「母さんに会いたい」とあんずにお願いする。その望みを叶えるため、現世と地獄を巻き込んだひと夏の逃避行が始まる。 本作に採用されたのが、実写で撮影した映像をトレースしアニメーションにするロトスコープという手法で、山下監督の実写映像を久野監督がアニメ化するスタイルが採用された。実写映像には森山をはじめとする声優キャストが実際に出演し、現場での演技と声がキャラクターに生かされた。そんな本作の裏側を久野、山下両監督と脚本のいまおかに語ってもらった。 ■「シナリオを書き直し続けて、気がついたら8年も経っていました」(いまおか) ――最初に『化け猫あんずちゃん』の映像化を企画したのは山下監督だそうですね。 山下敦弘(以下、山下)「あんまり記憶がない、ということにしてるんですが(笑)。10年ほど前、携帯向けに1話10分くらいの短編シリーズができないか、と漠然と思っていました。アニメじゃなく着ぐるみを使った実写ドラマですね。『苦役列車』のあとだったので、あんずちゃんの横にあっちゃん(前田敦子)を並べてみたらどうかな?とか考えていたんですが、1ミリも動かず(笑)。助監督をしてくれた近藤くん(本作の近藤慶一プロデューサー)がそれを覚えてくれていたという」 ――脚本をいまおか監督に、というのは山下監督からですか? いまおかしんじ(以下、いまおか)「近藤くんですね。そもそも日本映画学校(現・日本映画大学)で脚本の書き方を教えていた時の生徒の一人が近藤くんだったんです。その後『苦役列車』で一緒になったんですが、彼から『「苦役列車」の世界観を持ち込んで「あんずちゃん」を長編にできないか』と話が来て。声をかけてもらってうれしかったけど、あの原作を映画にするってずいぶん変わった企画だなと(笑)。いましろさんの作品は大好きだし、個人的に知り合いということもあって「これはやるしかないやろ」と思いました」 ――原作は短編の連作ですが、長編にするにあたってどう取り組まれたのでしょうか? いまおか「僕はアニメは門外漢なので、実写作品のつもりで書いていったんです。最初は地獄に行くエピソードもなく、これで正解だろうか?みたいな感じで探り探りですね。みんなの意見を取り入れて少しずつ直していったんです。えらい時間がかかりました、もう何年も。半分諦めてたんですけどね。地獄へ行く話になったあたりから、少しずつ『成立するのかもしれないな』と思いはじめました」 山下「最初はかりんが町に来て帰るだけの話だったんですが、地獄が出てきてからがらっと変わっていきましたね」 いまおか「僕自身、アニメを観る時は『どんな世界に連れていってくれるんだろう?』と期待するんです。それを意識しながら試行錯誤していきました。カーチェイスに関しても、どうしたらアニメの面白味みたいなのが出るかを考えるなかで、追いつ追われつで首都高を逆走したらどうだろうかと。これは近藤くんのアイデアなんだけど、そういうのも取り込んで、アニメならではのエピソードを考えました。実写だと『できねーな』で終わることもアニメなら可能ですからね」 ――シナリオは何稿まで書かれたのでしょうか? いまおか「14、15稿くらい行ったと思いますよ」 久野遥子(以下、久野)「細かく刻めば17稿くらいあったと思います」 いまおか「通常なら5稿くらいでもう決めようよってなるけどね。これがなかなか決まらない。みんなしつこい。気がついたら8年も経ってた。普通は途中で諦めます(笑)」 ■「オリジナルキャラクターのかりんは、五藤希愛さんの外見をデザインに生かしました」(久野) ――あんずちゃんと共に冒険を繰り広げるかりんは、映画のオリジナルキャラクターですね。 久野「原作は短編で構成されていましたが、長編映画にするにあたってあんずに相方が欲しかったんです。あんずと同じくらい個性あるキャラクターを、と模索するなかで不機嫌な女の子という像ができていきました」 ――かりんのキャラクターデザインはどのように発想されたのでしょうか。 久野「原作に女の子のキャラクターがいないので、いましろさんの絵柄を軸にしなくてもいいかなという思いはありました。それでかりんを演じた五藤希愛さん本人をデザインに生かしたんです。オーディション時の彼女の三つ編み姿が可愛いかったので、かりんも三つ編みになりました」 ――スタイリストの伊賀大介さんが参加されていますが、プロモーション映像を見ると、実写映像で五藤さんが着ている衣装がそのままアニメーションに反映されていました。 久野「人間の姿をしているキャラクターは、ほぼそのままアニメ化しています。伊賀さんは細田守監督などのアニメ作品も手掛けられているので、絵になった時にシルエットが美しく見える服を選んでくださったんです」 山下「あんずちゃんを演じた森山くんもそうですが、カエルちゃん役の吉岡睦雄さんは緑のTシャツと短パン、貧乏神役の水澤紳吾さんは裸風の肌着を着てもらいふんどし姿(笑)。妖怪役の皆さんも雰囲気は寄せていました」 ――今回はロトスコープ作品ですが、全編を実写で撮ったんですか? 山下「そうですね。カーチェイスは別にして、あとは何か所か撮ってない箇所がある程度だと思います」 久野「8割は撮ってるんじゃないですかね。ロケ地に行けなくて会議室などで撮ったシーンを含め、ほぼほぼ実写映像があった印象です」 山下「1シーンだけ僕がかりんを演じたシーンもあるんですよ。予告にも使われた海辺で自転車を蹴飛ばすところ、あれは僕です。すごいガニ股で(笑)」 いまおか「山下くんの力強さが出ちゃってたね」 久野「実写映像ではそこまでガニ股でもなかったんですよ。でも、担当したアニメーターさんが山下さんをイメージされたのか、完成作品ではガニ股が強めです(笑)」 ■「あんずちゃんを演じた森山未來くんの動きは、すごく魅力的です」(山下) ――アニメーションを意識した演出はされましたか? 山下「あんずちゃんに森山くんをキャスティングしたというのは、それ自体がアニメを意識した部分でもあります。やっぱり彼の動きはすごく魅力的なので。現場で『こんなふうに動いてください』など動きをつけるのは主に久野さんの担当でした」 久野「あんずちゃんを『可愛く見せたい!』という部分は意識しました。基本的に私も現場にいましたが、コロナに罹って行けなくなった時もシンエイ動画のスタッフさんが撮った映像をリモートで見ていました」 ――背景まで生かすロトスコープ作品は画面フィックスが多い印象ですが、今回はカメラワークも自然に使われていました。アニメの画づくりで意識されたことはありますか? 久野「ロトスコープでアニメーションにする時、動くカメラを追っていくのはすごく大変な作業になります。だから画角が固定されているとやりやすいんですが、長編でカメラがまったく動かないのは厳しいとわかっていました。それで今回は、まずカメラが移動する分をシンクロさせた実景のパノラマ画像を作ってもらったんです。 担当したCG監督の飯塚智香さんは大変だったと思いますが、おかげで自由なカメラワークが実現しました」 山下「普通にパンしてるだけのすごく地味なシーンが、実は大変だったという」 久野「パン素材に時間がかかってしまいましたが、パノラマ画像になれば人物が固定で描けるので、アニメーターさんはやりやすくなったと思います」 ――ロトスコープ作品ですが、リアルに寄りすぎない仕上がりで、実写の動きの省き方やアニメとしての動きの加え方が絶妙でした。 久野「この作品に入る前に、山下さんと一緒にロトスコープを使った『東アジア文化都市2019豊島』のプロモーション映像を作り、そのあとに『化け猫あんずちゃん』のパイロット版…と段階を踏んだんです。パイロット版まではリアルに全振りでと考えていましたが、動きを拾いすぎるとリアル感が出すぎて役者さんの演技のテンションが伝わってきませんでした。そこで、止まる時はしっかり止まり、動く時は少し大きくといういわゆる普通のアニメーションの動きを持ち込んだんです。リアルベースの動きがありつつ、過剰な部分を作って実写のテンションに近づけていくバランスは試行錯誤して見つけていきました」 ■「真夏の撮影現場での汗など、演者さんの肉体性をアニメにそのまま反映しました」(久野) ――実写の撮影現場で思い出に残っているエピソードを教えてください。 山下「とにかく暑かったっていうことに尽きますね(笑)」 久野「そういう意味で、貧乏神とあんずちゃんが勝負するシーンが初日だったのは良いタイミングでした。森山さんもTシャツの色が変わるくらいリアルに汗をかいていたので、アニメーションであまり足していないんです。演者さんの肉体性がアニメにそのまま反映されたという」 山下「ロトスコープって時間や天気は関係ないじゃないですか。そういう利点があるぶん、制作部が撮影スケジュールを詰めるんですよ(笑)。『ちょっと1日の分量多すぎないか!』ってくらい」 久野「撮影はたしか10日くらいでしたよね」 山下「10日くらいで、とにかく暑かった。あんなに経口補水液を飲んだの初めてだったけど、実際に効くもんだと実感しました(笑)。あれと氷のうで首を冷やして…いまの8月は外で撮影しちゃダメですね。初日でもう真っ赤になっちゃって」 いまおか「そこまで詰め込んで撮らなきゃならなかったんだ」 山下「売れっ子が揃っていますから、皆が撮影しない時期にやるという(笑)。河原での撮影は周りに釣りをしてる人もいましたが、森山くんはネコ耳つけてるし、カメラは小さな一眼のミラーレスだし少人数だったので映画を撮ってるとは思われなかったと思います。あいつらなにやってんだ?って感じで(笑)」 久野「照明部がいないので、撮影班がコンパクトになったんですよね」 ――アニメーションのキャラクターには、影がほとんどつけられていない印象でした。 久野「シンプルな絵が自分の好みということはあります。それと首やスカートの下を無条件で暗くするとか、アニメーションの影って立体感を出すための記号という側面が大きいんです。それがこの作品に合わない気もしました。キャラクターはデフォルメされているけど影をつける場合ははリアル、みたいなバランスの方がおもしろいんじゃないかなと。光の設定は美術監督・色彩設計のJulien De Manさんが担当されて、実写に合わせた部分を含めシーンごと設定してくださいました」 ■「アニメになった逆立ちのシーンを観て、すごく感動しました」(山下) ――実写からアニメになったことで「お!」と思ったシーンはありますか? 山下「お母さんの柚季とかりん2人が逆立ちをするところですね。脚本の字面で読んだ時には『逆立ちすんの?』と思っていたんですけど、実際に撮ってアニメになっているのを見た時にすごく感動したので。市川さんと五藤さんのお芝居もしっかり機能していたし、すごいなと思いました」 ――本当に逆立ちをしてたんですか? 山下「実はしてないんですよ」 久野「あそこはアニメーターさんにすごい頑張ってもらった所ですね。実写で逆立ちすると『よいしょ』って感じが強くなってしまうんです。でもアニメーションだとスルっとできるし、柚季の性格の気持ちよさみたいなところも表現できて、アニメーションだからこそのシーンだと思っています」 ――逆に、久野監督として特に印象に残っている実写のお芝居はどこですか? 久野「かりんとあんずが宴会の後に喧嘩するシーンですね。あそこは山下さんがすごく粘って五藤さんのいい表情を引きだしていました。逆に森山さんは無表情だけど、すごくニュアンスを出していて。2人がぶつかって素敵なお芝居をしてくださったので、この温度感をちゃんとアニメに持っていくのは大変だなと思いました」 ――現場で同録(同時録音)で録った音声も使っているんですよね? いまおか「7、8割は同録だったそうですね」 山下「何か所か録り直したものもありますが、ほとんど同録を使ってますね」 久野「実写のお芝居を絵にしているので、少し聞き取りづらくても同録の方が合うからとアフレコを使わなかったシーンもありました」 山下「撮影から時間が経って、その間に五藤さんは役者としてめきめき成長していたので、アフレコのお芝居が明らかにうまい(笑)」 久野「アフレコの時、五藤さんは自分のお芝居をあらためて観直している感じでしたね。最終的にかりんにとって大切なシーンのいくつかはアフレコにしました」 山下「一番わかりやすいのがラストシーン。『あんずちゃん!』って叫ぶカットは実はアフレコを使っているんですが、収録の時に驚いたくらいよかったです」 ■「完成した映画を観たら『俺、いい仕事したかも!』と思えました」(いまおか) ――長期にわたった3人での共同作業を振り返っていかがですか? 山下「制作期間を通して致命的にぶつかり合うこともなく、とても楽しい仕事でしたね。途中で初稿に戻しましょうとか、いまおかさんには注文を出しすぎたのでちょっと申し訳なかったな(笑)」 いまおか「ここまで直させておいて初稿かよ、とか思いつつ(笑)。でも足かけ8年かかったので、正直途中で『これは成立しないんじゃないか』と思いました。打ち合せの時にみんなの意見を台本に書き込むんですが、メモ書きで真っ黒になる量なんですよ。家に帰ってそれを見ると『ハァ…』となるんですけど、どれもちゃんと的を射た意見だったので、こっちも負けじと書き直していきました。時にはしんどい思いもしましたが、完成した映画を観たら『俺、いい仕事したかも!』と思えましたね。とにかく完成してよかったです」 ――ご自身でもアニメ作品を撮ってみたいと思ったりしませんでしたか? いまおか「それはまったくないですね(笑)」 久野「お2人とも、いわゆるアニメーションの記号的な世界とは違ったものを描こうとしていたので、私にとってはそれがモチベーションになりました。いまおかさんの独特のセリフ遣いが、山下さんの演出で俳優さんを通して声になると、すごく素敵なんです。そうやって演じてくださった皆さんの持ち味をアニメーションで表現できるのかと不安もありましたが、実写映像にあった“おもしろさ”のニュアンスは残せたと思います」 取材・文/神武団四郎