船渡御、花火だけじゃない 華やか8体 「御迎え人形」 大阪・天神祭を彩る主役
大阪の夏の風物詩で日本三大祭りに数えられる、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭(24~25日)が近づく中、年に一度だけお披露目する「御迎え人形」(大阪天満宮蔵)の展示が市内各所で始まった。かつて、祭りのクライマックスの「船渡御(ふなとぎょ)」を迎える「御迎え船」に乗せていた豪華な人形。祭りの前には町中でも披露されていたという。これにちなみ平成21年から地元のホテルなどが場所を提供し、人形披露を再現。祭り気分を盛り上げている。 【一覧でみる】御迎え人形展示場所 ■組み立て1時間 「前掛けをもう少し右へ」「ちょっと行き過ぎた。戻して」 6月末、帝国ホテル大阪(大阪市北区)では神社関係者らが集まり、地下の展示室で御迎え人形の組み立て作業をしていた。 同ホテルに飾る人形は江戸時代初期の俠客(きょうかく)「木津勘助」(中村勘助)。大阪・中之島の蔵屋敷から米俵を奪い民衆に分け与えるなどした庶民の味方で、人形はその場面を表現しているという。 木製の胴体に腕や顔をはめ込み、さらに服を着せていくのだが、衣装はずっしりと重く簡単にはポジションが決まらない。慎重に作業すること約1時間。トラの刺繍(ししゅう)が入った赤い着物に、竜の刺繍の黒帯を締めた勇ましい勘助が完成した。 隣接するOAP(大阪アメニティパーク)では三国志でおなじみの「関羽」を組み立て。あごひげをしごいて見えを切る関羽は、今にも動き出しそうだ。江戸時代の歌舞伎にも登場して人気を博したという。 ■疫病よけの赤い服 「天神祭が盛大になるのは17世紀末の元禄文化が華やいだ時代。その頃に御迎え船に人形が飾られるようになった」 大阪天満宮文化研究所所長で芦屋大客員教授の高島幸次さん(75)が解説する。 人形のモデルになったのは当時大阪で注目を集めた浄瑠璃や歌舞伎の登場人物。共通点は疱瘡(天然痘)の神が嫌う緋色(赤色)を身にまとっているところだ。 また「文楽人形の細工師らが作ったので手足が動かせる仕組みになっている」(高島さん)。御迎え船の舳先(へさき)に乗せても見えるように、大きめのつくりで約2メートルほどもある。かがり火に浮かび上がる姿は当時の人々を魅了しただろう。 保存の過程で手足が固定されて現在は動かせないが、現存する16体すべてが大阪府指定有形民俗文化財だ。最盛期の江戸後期には50体以上あったそうだ。