「新三人娘」から『スタ誕』『ザ・ベストテン』…日本の「アイドル」の原点を築いた南沙織 原石の輝き
キャンディーズの人気を追うように、またも『スター誕生!』から、これもアイドルの歴史に大きな衝撃と影響を与えた2人組が’76年に誕生する。ミー(現 未唯mie)とケイ(現 増田恵子)、そう、ピンク・レディーの登場だ。 8月発売のデビュー曲『ペッパー警部』から、『S・O・S』『カルメン’77』『渚のシンドバッド』『ウォンテッド(指名手配)』と、ミリオンセラーも含むメガヒットを連発、6枚目のシングルとなった『UFO』はやはりミリオンセラーとなり、レコード大賞も受賞した。 ピンク・レディーは、これまでのアイドルソングでよく見られた等身大の女の子の気持ちではなく、肌の露出も多く健康的なお色気を放つ派手な衣装、そして何より、阿久悠による宇宙人や野球選手といった、浮世離れした設定的な楽曲の世界観、流行のダンスサウンドをポップに織り込んだ都倉俊一のメロディ、そして土居甫による奇抜ともいえる振り付け。阿久悠と都倉俊一のコンビがこれまでに送り出してきた山本リンダやフィンガー5の、どこか非日常感のある世界がさらに進化したようなピンク・レディーの世界は、当時のテレビで楽しむアイドルとしてひとつの理想形としてどハマりし、小さな女の子がその振り付けをいっせいに真似、グッズ展開などは天地真理をさらにしのぐほどの社会現象となった。 ◆『ザ・ベストテン』 ピンク・レディー旋風のさ中、’78年1月にランキング番組『ザ・ベストテン』の放送がスタートしたことも注目しておきたい。記念すべき第1回放送の第1位がまさにピンク・レディーの『UFO』、その後、何度も上位を獲得、そのブームと番組人気を押し上げた存在でもある。 『スタ誕』とは別に、大手芸能事務所も自前のアイドルを発掘・育成するオーディションを開始、’76年の「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」では榊原郁恵がグランプリを獲得、その後も多くのスターがデビューしている。 キャンディーズが解散し、ピンク・レディーの人気が頂点を極めた’70年代後半あたりから、日本の歌謡界にひとつの新たな流れが生まれる。 ツイスト、アリス、ゴダイゴ、オフコース、サザンオールスターズ、渡辺真知子といった、「ニューミュージック」というジャンルに分類されるアーティストたちによるヒットが連発、彼らが一部でアイドル的人気を獲得するようになるとともに、純粋なアイドル歌手の勢いは男女とも全体的に弱まる流れが生まれる。この時期の女性アイドル歌手も、桑江知子や高見知佳といった、’70年代初期のアイドル像とは違う雰囲気の、どちらかといえばシンガー寄りのアイドルが増えてくる。 そんな流れの中、’80年代の幕開けとともに、アイドル史最大といえる存在が登場するーー。 文:太田サトル ライター・編集・インタビュアー。学生時代よりライター活動を開始、現在はウェブや雑誌などで主にエンタメ系記事やインタビューなどを執筆。
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