大阪「海遊館」売上高100億円で絶好調、《日本一の水族館》へ成長を遂げた「大阪ならではの理由」
都市開発とセットで誕生
田井氏によれば、そもそも当時の大阪人は水族館に飢えていたのでは、という説がある。1903年、大阪府堺市に「堺水族館」という水族館が誕生した。同館は、本格的水族館としては日本初で、当時は“東洋一の水族館”と呼ばれていたという。 しかし、堺水族館は集客数減少に伴い'61年に閉館。それから海遊館の誕生まで約30年、大阪に水族館が無い状態が続いた。そうした背景からも、「待ちに待った水族館」ということで、海遊館にどっと大阪人が押し寄せ、人気を確立していく。 こうした歴史的背景から、大阪には水族館に多くの来館者を呼び込むのに適した土壌と文化が生まれていく。それが、現在に至るまで続いている。 「その上で、県外から、そして現在のように外国人観光客が殺到している理由を付け加えるならば、大きく2つ挙げられます。1つは、海遊館をつくるにあたって、都市開発とセットで行われたことです」(田井氏) 海遊館は元々、大阪市と民間企業の共同出資による、いわゆる第三セクターによって誕生した経緯がある。具体的には、大阪港のウォーターフロント再開発プロジェクト「天保山ハーバービレッジ」の中心的施設という位置づけで生まれたのだ。 そのため海遊館に隣接する形でレストランやショッピングモール、遊園地があり、また大阪湾クルーズといったアミューズメントが揃っている。つまり一帯が複合的な商業エリアとなっているため、観光客が集まりやすいというわけだ。
「完全民営化」が功を奏した
さらに人気となった要因のもう1つが、民営の水族館になったという点だ。'15年に大阪市が保有株式を全て売却したことによって、海遊館は完全民営化し、前出の近鉄グループHDの一員になっている。田井氏が続ける。 「また、行政が関わる『公営水族館』の場合、意思決定のプロセスで時間がかかり、創意工夫を凝らした運営が難しくなってしまいます。一方、海遊館に代表される『民営水族館』は、水族館の企画開発から製作、運営まで一気通貫で行うことができます。 具体的には、海遊館は外国人観光客の呼び込み戦略が巧かった印象です。かなり早い段階で多言語でのパンフレットやサインの設置(現在、館内パンフレットは29言語にも対応)するなど、その柔軟かつスピード感ある運営が、日本トップクラスの水族館に押し上げた所以でしょう」 来年には、大阪・関西万博が控えている。'25年1月には、万博会場となる人工島、夢洲(ゆめしま)に大阪メトロ中央線が延伸し、夢洲駅が開業する予定だ。そうなれば一層、足を運ぶ観光客も増加するだろう。 まだまだ海遊館の快進撃は続きそうだ。
マネー現代編集部