「チャイドル」と言われることに「重荷を感じたこともあった」 2児のママ、野村佑香が明かす葛藤
野村佑香インタビュー第1回
1990年代、「チャイドル」として一世を風靡した野村佑香(40)。女子小中学生を対象としたファッション雑誌「ニコラ」では、創刊号(1997年)で表紙を務めた。「ニコラに出ていたと知ってもらえると、今の小中高生に尊敬してもらえます」と笑顔で語る野村。当時を振り返ってもらった。(インタビュー第1回・全4回) 【写真】当時から圧倒的に「かわいい」…幼少期、小学、中学、高校、大学時代の野村佑香 ***
――「ニコラ」の創刊号に登場したのは、中学生1年生、当時13歳です。印象に残っていることはありますか。 ニコラを作る前に作ったパイロット版の撮影がすごく印象に残っています。有明にある展示室の中の透明なピラミッドのところで、すごく実験的な撮影でした。同じ年ぐらいのモデルさんが集まって、かっこいいものを作るんだ、新しいものを作るんだという空気に満ちた撮影で、とても楽しかったです。 ――撮影で覚えていることはありますか。 栗山千明ちゃんと一緒だったことがあります。当時の同世代の子たちと、攻めたアバンギャルドなファッションで撮影しました。可愛いだけのファッション誌ではなく、時代を感じるものでした。 ――現場の雰囲気はどんな感じでしたか。 モデルとしてかっこよく撮ろうという刺激的な空気でした。 ――デビューのきっかけを教えてください。 3歳の時に、母の友達が「やってみない?」と声をかけてくれたのがきっかけです。 ――最初の仕事は何でしたか。 おもちゃのパッケージの仕事でした。撮影が終わった後に桃太郎と金太郎の人形をもらって、うれしかったことを覚えています。その人形は思い出としてずっと家にあります。
「アニー」に自分も「出たい」
――芸能活動をどのような形で進めていたのでしょうか。 小学校4、5年生の時に友達がミュージカル「アニー」に出ているのを見て、自分も「出たい」と思い、芸能活動ができる事務所に移りました。事務所からもらったオーディション情報をもとに、たくさんのオーディションを受けました。ほとんどは落ちましたが、受かった時はとても嬉しかったです。 ――当時、芸能活動と学校生活の割合はどのくらいでしたか。 比率は正確には覚えていませんが、体感では芸能の仕事が8割、学校が2割くらいでした。ただ、学校の行事には出て、出席日数もしっかり守っていました。文化祭や体育祭などのイベントにも参加して、学校生活も楽しんでいました。 ――どのような学校生活だったのでしょうか。 地元の公立小中学校に通っていたので、周りの人は私が芸能活動をしていることを知っていました。普通の小学生、中学生として過ごしていましたね。周りの友達も普通に接してくれました。 ――芸能人ということで、騒がれることはあったのでしょうか。 他校の生徒と接する時は、他校の生徒から少し言われることがありました。中学3年生の修学旅行で京都に行った時、他の人から囲まれたことがありましたが、友達がSPのように守ってくれました。友達には感謝の気持ちでいっぱいです。 ――部活は何かやっていたのでしょうか。 中学校では部活ができませんでしたが、高校では茶道部に幽霊部員として所属していました。文化祭の時に浴衣の着付けを手伝ったりしていました。本当はダンスが好きだったんですが、お仕事の関係もあり部活には入れませんでした。ただ、うちの高校のチアリーダーが全国大会に行くくらいすごく強かったんです。友達がそのチアリーダー部に入っていたので、その子を応援することで(部活をやりたいという)気持ちを昇華していました。