愛媛の元不登校生 さっちゃんの生きる道 太田聡美さん(伊予市)の歩み
中学2年の夏休み明けから不登校になった。高校には行かないと決め、高卒認定試験を受け大学に進学。しかし、2カ月でまたキャンパスに行けなくなった―。 「さっちゃん」こと太田聡美さん(35)=伊予市=は、「消えてなくなってしまいたい」と思い詰めた時期を経て、現在は介護などの仕事の傍ら、不登校で苦しむ親子の支援活動に力を入れている。目標は地域の人たちに不登校を理解してもらうこと、そして親子の居場所づくり。さっちゃんが、前を向き、笑顔を取り戻すまでの道のりとは。 ■不登校って何なん? 4月末、さっちゃんは、伊予市灘町のミュゼ灘屋で「不登校セミナー」を開催した。3月から月1回のペースで始めたイベントだ。対象は当事者でも保護者でもなく、地域の大人たち。「不登校って何なん?」と題して自身の経験を赤裸々に語る。集まった14人を前に、伝えたい思いが次々にあふれ出る。 「不登校の子で頑張っていない子はいない。周囲の大人たちが変われば、子どもの息苦しさと孤独がなくなる」「学校に行けないことはそんなに悪いことでしょうか」「安心できる居場所さえあれば、学んだり遊んだりできると思う」 ■不登校の理由は- 文部科学省の調査(2022年)では、不登校理由のトップは「無気力、不安」(51・8%)。ただしこれは学校が判断した要因。つまり先生の回答だ。 一方で、さっちゃんは「これだと断言できる理由はない」と強調する。父親代わりだった叔父が亡くなった、いじめはないものの友人関係に悩みがあった、勉強と部活で毎日疲れていた、自己肯定感が低かった…。「しいて言えば全部」だと。教室に入れず保健室登校もしたが、緊張の糸が切れてからは半年間、ひきこもりになった。 ■学校からの解放 さっちゃんの転機は「学校の枠」を取り払ったことで訪れた。 高校に進学しない、と決めたことで外出できるようになった。17歳でニュージーランドにひとり旅もした。異国で感じたのは「自由に生きていいんだ!」という解放感だった。 その後、県内の4年制大学に入学したが「やはり私には合わなかった」と中退。29歳で専門学校に2年間通い、保育士資格を取得。福岡市のNPO法人で子ども支援の仕事に就き、2022年に帰郷した。 ■次々に支援活動 そして今―。 さっちゃんの活動の軸のひとつが、不登校の親子の居場所「トーキョーコーヒー伊予」。伊予市中山の母親の実家で運営している。名称は「登校拒否」の読み方を入れ変えた言葉遊び。全国に350カ所以上の拠点があり、昨年、さっちゃんも仲間に加わった。 ほかにもオンラインでつながる「がっこう」や親同士のおはなし会を、松山市などで定期的に開催。「9月には不登校の子の保護者の大交流会をしたい」と次々に企画し実行に移す。 「昔、家から出られなかった私がほしかったもの、そして母が求めていたものを形にしたい」。この思いが原動力だ。
愛媛新聞社