仏像鑑賞入門:尊像と対話するための基礎知識
2. 飛鳥時代後期(白鳳時代)(7世紀中頃~710年)
頬をふくらませ、子どものようなあどけない表情の仏像を目にすることがある。このような仏像は、7世紀後半から8世紀初頭までに制作されたものと推測することができる。少し前までは白鳳時代という名称が使われていたが、近年は「飛鳥時代後期」と呼ばれるようになった。詳細はこれから始まる連載で、この時代の仏像を解説する際に述べることにしたい。 2017年、東京都調布市の深大寺の釈迦如来倚像(いぞう)が国宝に指定された。これが東京の寺院に安置される唯一の国宝仏だ。あどけない表情で、なんと二重まぶた。椅子に座った姿であることも見逃せない。 本像の伝来は、謎に包まれている。この釈迦如来倚像が制作された飛鳥時代後期の都は奈良であった。都から遠く離れた武蔵野の地に、なぜこうした完成度の高い仏像があったのか。この点について諸説ある。まず関東にも当時すでに国分寺があり、ある程度の仏教文化は都から伝わっていたと考える説、奈良で制作されて、運び込まれたと考える説だ。 近年は奈良・新薬師寺にあった香(こう)薬師如来像に似ている点から、同一工房で制作されて関東にもたらされた説が有力になっている。ちなみに香薬師如来像は、元は聖徳太子が創建した香薬師寺の本尊だったと伝えられるのでこの名が付いている。
3. 天平(てんぴょう)時代=奈良時代(710~783年)
仏像の写実が完成されたといわれる時代である。日本の仏像は絶えず中国の影響を受けて制作されてきた。この時期中国は唐の時代であり、その仏像には動きのある写実的な表現が用いられた。そのため日本でも動的な表現の仏像が誕生することになった。 さらに一つ留意しておきたいことがある。それは仏像の素材だ。これまでの仏像制作には、銅を溶かして型に流して成型する「金銅仏」と、木を削って制作する「木彫仏」が主流であった。そこに粘土などを盛って制作する「捻塑(ねんそ)」と呼ばれる技法が加わる。この技法も唐から伝わったもので天平時代に盛んに用いられるようになった。こうした新技法が、写実的な仏像を誕生させるのを後押ししたと言われている。 この時代の代表的な作例は、興福寺の阿修羅(あしゅら)像である。今やファンクラブまである人気の仏像だ。なぜこれほどまで衆目を集めるかといえば、何かを憂えているような、人間がふとした瞬間に見せる表情をしているからだ。捻塑像だからこそこうした繊細な表現が可能になった。たしかに削って作るよりも、盛って作った方が細やかな表情が生まれる。ヘラを使って髪の毛の一本一本を表現することもできる。素材に着目して仏像を鑑賞することも、仏像との対話の糸口が見つける上で重要だ。