仏像鑑賞入門:尊像と対話するための基礎知識
3. 明王
サンスクリットで「明」は「ヴィッドヤー(vidya)」と言い、明呪(みょうじゅ)、つまり密教でいう真言(しんごん)のことである。真言の一字一字には深い意味があり、それを唱えるとご利益があるとされている。それに「王」がついて、明王とは霊的な真言を持った王者を示す。 仏教の教えによって教化されない衆生(しゅじょう)を従わせるために、あえて憤怒の姿となり仏道に導く役割を担う。怖い顔をした仏像なら明王と判断できる。例えば、「不動明王」「愛染(あいぜん)明王」「降三世(ごうさんぜ)明王」などで、全て密教の尊像である。
4. 天
天は、サンスクリットで「デーヴァ(deva)」と言い、神を意味する。仏教が成立する前からインドで信仰されていたバラモン教など土着の神々が仏教に取り入れられ、仏教世界を守る護法神となった。そのため、表現される姿はさまざまだ。如来、菩薩、明王以外の姿であれば天と推測できる。例えば、「四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)」「弁財天」「大黒天」などだ。
制作時代をチェック!
日本で仏像が誕生したのは7世紀初頭だ。6世紀、欽明天皇の時代に仏教が百済(くだら)から伝わり、その崇拝対象として仏像が作られるようになった。日本の仏像制作は、伝来した仏像を模倣することから始まる。年代区分は諸説あるが、ここでは美術史の観点から飛鳥時代から平安時代までの仏像の変遷を概観する。
1. 飛鳥時代前期(6世紀中頃~7世紀中頃)
仏教が伝来した飛鳥時代はまだ仏像の制作に慣れておらず、中国の仏像を模倣して制作していた。この時代の代表的な仏像は、法隆寺金堂の釈迦三尊像だろう。顔を見ると目を見開き口角をあげて、ほほえんでいる。いわゆる古拙(こせつ)微笑、アルカイックスマイルだ。細かい点では、袈裟の皺(しわ)である衣文(えもん)線は左右対称できれいに見えるが、自然な表現になっていない印象を受ける。興味深いのは、この仏像を側面から見ると、体がとても薄い。また腕は短く、足も通常の長さとは違い、普通の身体表現ではない。つまり、制作者が仏像を横から見ることを意識していないのが分かる。 その他に注目すべき点は、袈裟である。インドの仏像には、両肩を覆う「通肩(つうけん)」と右肩をあらわにして斜めに着る「偏袒右肩(へんたんうけん)」という2通りの袈裟の着け方がある。1世紀に仏教が中国に伝わりこのスタイルの仏像が入ってきたが、6世紀になると中国貴族の服を着た仏像が登場するようになる。その影響だろう、法隆寺の釈迦三尊像も中国式の袈裟の着け方をしている。