大黒柱だった子役時代、パパラッチとの熾烈なバトル、6年間の活動休止…クリスティーナ・アギレラ(43)の今
「黄金の歌声を持つ真の歌手」。2000年代、辛口の批評家からも実力派として認められていたのがクリスティーナ・アギレラだ。このたび8月のサマーソニックでの来日公演が決定した現在43歳の彼女が成し遂げた記録は、7500万枚の売上、5つのグラミー賞と、まさにスーパースター級。しかし、一世を風靡したあと、長い休止状態に入ったという特異な経歴も持っている。いったい、なにがあったのか? 【画像】現在のクリスティーナ・アギレラ(43)を見る
両親が不仲な家庭出身、子役として一家の大黒柱に
1980年、アメリカに生まれたクリスティーナは、幼少期を日本の相模原で過ごした。異国である日本で孤立していた一家の家庭環境は悪く、軍人だった父親が母親に暴力をふるっていた。両親の口論がはじまると、クリスティーナは希望をたくすかのように窓の外にむかって歌っていたという。 アメリカに帰国してついに両親が離婚すると、祖母に音楽の才能を見出されて子役となり、小学1年生にして一家の大黒柱となった。わずか12歳でディズニー番組『ミッキーマウス・クラブ』のオーディションに合格し、のちに同じポップスターとなるブリトニー・スピアーズやジャスティン・ティンバーレイク、現在俳優であるライアン・ゴズリングらと共にお茶の間のキッズスターとなった。 日本のシンガーソングライター・中西圭三とのコラボレーションシングル「All I Wanna Do」やアニメーション映画『ムーラン』の主題歌に抜擢された下積み時代を経て、1999年にソロ歌手としてデビューすると、圧倒的な歌声をもつ実力派ティーンアイドルとして成功する。華々しいキャリアのスタートだったが、本人は当時を「レーベルの言いなり状態であった」と振り返る。
賛否両論だった、セクシー路線への転換
クリスティーナがその真価を発揮したのは、20代になって発表したアルバム『Stripped』。当時、ポップ界の流行といえば、親が安心して子どもに聴かせられる清純なアイドル像。そんななか、クリスティーナは「自由になって汚くなりたい」と宣言する楽曲「Dirrty」などでセクシーな変身を遂げて主体性を表明し、保守的な大人たちを激怒させたのだ。 実際は、当時のクリスティーナは性的な経験は少なかったというが、本当の自分の開示、そして歌手としての原体験にこだわったがゆえのイメージチェンジだった。暴力をふるう父親と共依存状態になってしまっていた母親を救いたくて歌っていた少女時代をルーツにもつ彼女は、声をあげられずに苦しむ誰かを歌で助けたいという気持ちに突き動かされていたのだ。 だからこそ、クリスティーナは保守層の反発を前にしても止まらなかった。バラード「Beautiful」のミュージックビデオでは、トランスジェンダーや同性愛者、醜形恐怖症の人々の美しさを讃えた。ヒップホップ調の「Can’t Hold Us Down」では、女性が男性と同じことをすると批判されるという女性差別をテーマに、世の女性たちを鼓舞してみせた。これらの曲は、フェミニストという言葉への言及すら避けられがちだった当時の音楽界の未来を切り拓くかのような政治的表明だった。