「既得権益に安住している奴らがいる」 選挙で“巨大な権力批判”が流行している理由(古市憲寿)
政治がらみの話題が多い一年だった。自民党の裏金問題から始まり、東京都知事選、自民党総裁選、衆議院選挙、そして兵庫県知事選はメディアでも大きく取り上げられた。 【写真をみる】ナイトプールではしゃぐ様子も! 斎藤知事を支えた“キラキラ社長”の「承認欲求強め」なSNS 来年以降も政治の話題は尽きないだろう。それどころか政治の存在感は増していく一方だと思う。なぜなら日本が貧乏な国になっていくからだ。
政治というのは資源配分である。お金にしても、公的な役職にしても、限りのあるものをいかに分けるのか。景気のいい時代は、何せパイが大きいので、政治も大雑把でよかった。 1972年、「日本列島改造」を掲げた田中角栄内閣が始まった。列島改造を説明した角栄の有名な演説がある。 「日本列島の改造ということを行うことによって都市問題も解決するし、物価問題も解決の方向に向かうし、住宅問題も交通問題も公害問題もみんな片付く」「まだまだ日本にはたくさん土地があります。これを新幹線に結べば、高速道路で結べば、飛行機で結べば、たいしたことはないじゃありませんか」 冷静になって読むと、まるで意味が分からない。なぜ列島改造であらゆる問題が解決するのか。交通網が結ばれると、なぜ「たいしたことはない」となるのか。そもそも何がどう「たいしたことはない」のか。
結果的にこの演説内容はうそだったのだが(50年以上たっても、都市や物価の問題は解決していないし、交通網は整備されても地方は衰退していく一方だ)、当時は一定の説得力があったのだろう。 高度成長で豊かになったはずの日本。だが中央と地方の格差は大きかった。交通網を血管のように結ぶことで、地方も豊かになる。「たいしたことはない」というまるで論理的ではない言葉に人々は期待した。それくらい日本国の資源には余裕があった。 だが、令和の時代はそうもいかない。これからの日本は、小さくなったパイを分配する必要に迫られる。必然的に政治の役割は大きくなる。ただし角栄の時代と違って、嫌われ者として、である。 伸びしろのある時代の、より多くお金をかける場所を決める争いではない。貧しくなる時代なので、必然的にどこのお金を削っていくかの争いが勃発する。その責任者が他でもない政治家である。 ただし政治家を選挙で決めるのは今も昔も一緒。口では明るいことを言わないとならない。同時に、有権者もバカではないから、見え見えのうそに簡単にだまされたりはしない。 そこで流行しているのが巨大な権力批判なのかもしれない。裏でこの社会を牛耳っている悪い奴らがいる。既得権益に安住しているダメな奴らがいる。庶民のことがまるで分からないエリート支配者がいる。そんな勢いのいい批判には、人々も乗っかりやすい。 だがそうして選挙に勝った政治家もまた権力を執行する人間の一人となる。今度は批判される側になる。こうして政治闘争は続く。政治家って大変。 古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。 「週刊新潮」2024年12月5日号 掲載
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