「社員教育もできない会社に、子どもを任せられるか!」 1本の苦情電話が、幼児教育「七田式」を変えた ~全3回の2
幼児教育のメソッド「七田式」の教室は1990年代以降、全国に展開していき、会社は自社ビルを持つまでに大きく成長する。そこには創業者・七田眞(しちだ・まこと)氏(1929-2009)の夢と、1987年に24歳で「しちだ・教育研究所」(島根県江津市)を承継した息子・七田厚氏の改革があった。厚氏に、社業の発展を振り返ってもらった。 【動画】専門家に聞く「事業承継はチャンスだ。」
◆2年間で課題は100個解決できる
―七田眞氏より事業を引き継ぎ、まず何に取り組んだのでしょうか。 社員時代に「こうすればいいのに」と思っていたことを1つずつ実現していくつもりでした。 しかし、進めていくうちに、あれもこれもと問題点が100ぐらい見つかって、途方に暮れたんです。 しかし、簡単なことから1週間に1つずつ解決していく目標を設定しました。 2年頑張れば、1年が52週だから100の問題点を解決できる。 「そうしたら素晴らしい会社になるじゃないか」と思ったら、わくわくして意欲が湧いてきました。 当時、会社は社会保険にも入っていなかったんです。まずは保険に加入し、土曜日出勤を廃止して週休2日制にしました。 ―他にどのような改革を進めましたか。 給与体系の改革です。当時の初任給は13万と低く、半年ごとに1万円ずつ昇給していくシステムで、10年勤めたら一律33万まで行く形でした。 初任給を上げ、昇給率を下げて、半年5000円ずつにして年間1万円の昇給という修正をしました。 社員教育にも力を入れました。一本の厳しい電話がきっかけでした。 社員がお客様を怒らせてしまって、「社長を出せ」と回ってきた電話で「自分の会社の社員も教育できないような会社に、私の大事な子供を預けることはできません」と言われてガチャンと切られました。 もっともだな、社員教育は大事だなと、素直に思いましたね。
◆社長就任、一気に社員の態度が変わって孤独に
―社長就任当初、苦労された点はありましたか。 一番の変化が、社員の態度が変わったことでした。 それまでは、社長の息子とはいえ社員の平均年齢と同じ24歳で、サークル感覚でみんな一緒に楽しくワイワイ、という雰囲気だったんです。 ところが社長になった途端、みんなに避けられるというか、一線を引いたような感じになって、一気に孤独になってしまいました。 当時はまだ独身で、家に帰っても誰もいない。社員が帰ってからが仕事でした。 日中はやりたい仕事が全然進まないので、夜がいちばん集中できるんです。 午後7時半から8時にはみんな帰るので、そこから2~3時間、パソコンに向かってリストを作ったり、改革案を練ったりする。 10時半ぐらいになったら、さすがにお腹がすくので、行きつけのお店で何か食べさせてもらう。 結婚するまでは、そんな日々が続いていました。