今季のコートでもう一度自分の力を証明したい(前編)(Bリーグ・サンロッカーズ渋谷 田中大貴)
近年、田中大貴に驚かされたことが2つある。 1つは2021年。1年遅れで開催された東京2020オリンピックの後、「これで代表活動を卒業する」と明言したこと。 2つ目は2023年6月、9年間在籍したアルバルク東京を退団し、サンロッカーズ渋谷への移籍を発表したこと。 この2つの出来事の間には『椎間板ヘルニアの手術による戦線離脱』というニュースも流れたが、それも田中の “選択” に何かしら影響を与えたのだろうか。その都度都度の心境をつぶさに語るのは難しいだろうが、田中はていねいに言葉を選びながらどの質問にも実直に答えてくれた。 最初の質問は移籍の経緯について。誰もが認めるA東京のエースであり、2度のリーグ優勝にも貢献した田中が、10年の節目となるシーズンを前にチームを離れることを決めた理由はなんだったのか?
自分にとってわくわくする道を選択した
「9年ずっとやってきたチームですから、アルバルクには特別な思いも強くありましたし、このままここでキャリアを終えたいという考えも少なからずありました。アルバルクを出るか出ないかについてすごく悩んだのは事実です。その中で移籍のきっかけになったものを1つだけ挙げるとしたら、やっぱりルカの存在でしょうか」 あらためて紹介するまでもないが、ルカとは昨シーズンよりSR渋谷の新しいヘッドコーチに就任したルカ・パヴィチェヴィッチのこと。細部にまでこだわるシステマチックなバスケットで知られ、4シーズン指揮を執ったA東京では栄えあるリーグ2連覇を果たした。その “ルカスタイル” をコートで鮮やかに体現したのは田中。試合では常に攻守の起点となってチームを牽引した。 「ルカの下でバスケをやり始めてから自分は確実に成長できました。選手として引き上げてもらったのは間違いないです。でも、ルカが体調を崩してアルバルクを離れることになったシーズン、最後となった島根(スサノオマジック)戦で自分はあまりいいパフォーマンスができなかったんですね。最後に恩返しができなかった後悔みたいなものがずっと自分の中にあって、なんて言うんですかね、胸の中にずっとモヤモヤしたものが残っている感じでした。次のシーズンは途中(2023年1月)でヘルニアの手術をすることになったんですけど、自分にとって初めての手術だったこともあり、バスケをできない時間がどんなに辛いかを実感しました。コートを離れる時間が長くなればなるほどコンディションはどんどん落ちていきます。ここからもう1回自分をフレッシュな状態に持っていかなきゃならないなあとか、どのぐらいで戻せるかなあとか、やっぱりそういうことは考えましたね。自分のこれから先のことというか」 モヤモヤを胸に残したまま終了したシーズンと初めての手術を経験したシーズン。それは田中が『自分の実力を発揮できないもどかしさ』を痛感した時間だったかもしれない。そんなとき、声をかけてくれたのがパヴィチェヴィッチHCだったという。 「考えてみればSR渋谷を率いることはルカにとっても新しいチャレンジなわけですよね。彼はそのチャレンジに自分を誘ってくれた。自分の力を信じてもう一度一緒にやろうと言ってくれた。シンプルにそれがうれしかったし、そのとき『ルカと心中したいな』と思ったんです。いえ、心中という表現はあれですけど、一緒にここで頂点を目指したい気持ちって言えばいいのか、うまく言えませんが、とにかくわくわくするものを感じたんですね。さっきも言ったようにアルバルクには特別な思いがあって、それは今でも変わらないんですけど、純粋に今の自分は何をやりたいのか、何が自分をわくわくさせるのかというのを考えたら、こっち(移籍)の道かなと思ったんです。それでも自分をよく知る人たちに相談はしたんですよ。そしたら全員に『もう心は決まってるんじゃないの?』と言われました。思えば、確かにそのとおりで(笑)。よし、だったら自分の気持ちに素直に従って前に進もうと、あらためて、はっきり心が決まったんです」