被団協にノーベル平和賞 埼玉県内の被爆者「体験伝承を」 被爆者の平均年齢85歳 語り手は年々少なくなり「証言だけでなく、写真や絵でも伝えていきたい」
世界に核兵器の廃絶を唱えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に10日、ノーベル平和賞が授与された。埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)の被爆者らは「今の世界情勢だからこそ受賞した」「これを機に核廃絶が進んでほしい」と、核兵器のない世界をつくるため、被爆体験を語り継いでいく気持ちを新たにした。 5人死亡、息を引き取った親族ら…あの日一瞬で気絶した13歳、今は原爆被団協の名誉会長に
事務局長の佐伯博行さん(80)=入間市=は広島の爆心地から2・3キロ離れた場所で被爆した。当時1歳で当時の記憶はないものの、親などから当時の状況を聞き、核兵器の恐ろしさを実感した。「ウクライナ侵攻などで核への危機感が高まっていることが受賞につながった。受賞を契機に核戦争を食い止めなければならない」と強調した。 5歳の時に広島の爆心地から約1・5キロの場所で被爆した、副会長の高橋溥さん(85)=川口市=は授賞式をテレビで見守った。被団協代表委員でしらさぎ会名誉会長の田中熙巳さん(92)がスピーチで、被爆者の平均年齢が85歳と紹介したことに触れ、「これからの継承が重要になってくることを再認識した」と気を引き締めた。 しらさぎ会の会員は多い時には約700人いたものの、現在は約400人に減っている。高橋さんは「語り手は年々少なくなっている。証言だけでなく、写真や絵でも伝えていきたい」と話した。
会員の柳内潔さん(79)=朝霞市=は生後7カ月の時に広島で被爆した。埼玉で育った柳内さんは、10歳の時に検査を受けた頃から自分が被爆者だと実感するようになった。昨年には初めて被爆した場所を訪れ、「大変な出来事だった」と改めて感じたという。「受賞の様子が若い人に知れ渡り、反核運動に参加する人や、原爆に関心を持つ人が増えることに期待している」と語った。