「2浪3留京大」人力車に情熱注ぐ彼の豊かな生き方 数学が苦手なのに理系志望、彼が貫いた信念
高校1年生の冬にはフリースタイルフットボールにはまったという理由で、これまで続けてきたサッカー部をやめましたが、部活をやめて時間ができた分「今できることをやって、やりたいことができたときに役立てられるように」と勉強にもより力を入れるようになりました。 いつも前向きに目の前のことをこなしてきた竹林さん。しかし、このあたりで自身の最大の欠点に向き合わざるをえなくなります。それが、「数学の問題が早く解けない」ということでした。
「高校2年生のとき、定期テストで13点を取ってしまいました。思えば、公立中学校のころからほかの科目はみんな95点なのに数学だけ70点くらいだったんです。文章題など、時間を割いて考える問題ではいい点数が取れていたのですが、当時から四則演算のような単純な計算を早く解くことができなかったんです。だから、センター試験では時間内に問題をすべて解き切るのが難しいと感じました」 この当時の旭丘高等学校は1割が東京大学、1割が京都大学、1割が国公立の医学部に進む感じだったそうで、真ん中から少し上の成績だった竹林さんは「めっちゃ頑張ったら東大に行けるかも」と思い、東大・京大の理系を第1志望にして勉強に励んでいました。
■数学が苦手なのに理系を選択した理由 しかし、なぜ数学が苦手な竹林さんが、理系を選択したのでしょうか。その理由をお聞きしたところ、彼は「迷ったらきついほうを選んだほうが、自分のためになる」という信念を持っていたからでした。 「旭丘高校は文理選択が遅くて、選ぶのが高2の10月、文系・理系に実際に分かれるのが高3からでした。当時の僕は英語と古文が得意で、苦手科目は数学・物理・化学でした。模試では英語の偏差値が84だったので、適性的に文系なら東大・京大も狙えるかもしれません。
でも、自分は理系の勉強が好きでしたし、理系の道に憧れていたんです。毎日風呂に入りながら考えていて、10月30日には一度、先生に『文系で行きます』と伝えたのですが、その日の風呂で、『男ならここで逃げるな!』と思って、10月31日に理系の道を選びました。 いばらの道に進むことを決めた竹林さんは、それ以降の模試は基本的に東大・京大の理系の判定はほぼD判定。もう高3のころにはすでに「周囲も(浪人を)するだろうから」という理由で浪人の覚悟が決まっていたようです。結局、現役時のセンター試験は7割に終わり、京都大学の工学部を受験するも、合格点から200点程度足りずに落ちてしまいました。