美術家・篠田桃紅が浴びた「ムゴい言葉」…それを乗り越えた彼女の「自由論」とは
「希望どおりにいかないのが現実。だけど思い出は、悲しかったことでも、楽しかったことでも、“ある”ということがとてもいいことだなと思いますね。」自由闊達かつ独創的な筆遣いで植物や天候の移ろい、人の感情を表現し数々の作品を生み出した美術家・篠田桃紅。そんな彼女を育んだ、特異な生い立ちとは。 【漫画】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 大正デモクラシーから震災、空襲を経て現代に渡る自身の生涯をエッセイとともに綴る『これでおしまい』(篠田桃紅著)より一部抜粋してお届けする。 『これおしまい』連載第5回 『「自分たちの精神というものがない」…戦前日本を包んでいた「封建制」の“知られざる影響”』より続く
初めての展覧会で
初めて開いた展覧会は書展でした。墨の抽象画を描き始める前のことです。銀座の鳩居堂で発表すると、「才気は煥発だが、根のない浮草のような書」だと、書道界から酷評されます。書には「書の道」があり、その道から外れて書いたので、浮草だと評されたのです。 「『書の道』というのは古典を意味していて、当時なら『関戸本古今和歌集』、『曼殊院本古今和歌集』、『高野切第3種』の名筆を写した字を書くことが好まれた。写した字であれば、書道界は安心して評価してくれる。でも、私は自分の好きな歌を自分流に書いた。勝手に独創的な字を書いたから、根無し草といわれたのね」 古典的な名筆の写しを書くことは容易く、彼女にはつまらなかった。むしろ、写すという、決まりごとを書くことから解き放たれたい。別のことがやりたかった。「なにものからも自由である」ことを、生きる上で最も大事にしたかったのです。 「自由というのは、気ままにやりたい放題にすることではなく、自分というものを立てて、自分の責任で自分を生かしていくこと。やりたいように振る舞って、人にも頼る。それは自由ではありません。」
「自由」とは
「自分の行動を責任持って考え、自分でやる。それが自由で、だから自らに由る(=因る、依る)という字を書く。これは簡単にできそうで、心が強くないとできない。なにものからも『自由でありたい』と思うのは、私の性格からきているんです。 芥川龍之介が『運命は性格の中にある』という言葉を残しているけど、本当にその通り。子どもの頃から、なんでも自分でやりたがった性格が、私の運命をつくってきたのだと思いますね」 「これは、いいとか悪いとかの判断じゃないんです。決まりごとのなかでやることに、私の性が合わない。規則っていうものがダメなんです。規則というものに縛られることがいやな人間なの。だから何かの会に所属するとか、そういうことからも一切避けて生きてきたんです。 やっぱり何かに所属すると、我慢をして、その会に従っていかなければならない。家庭だってそう。だから所属することとか何もしないし、結婚だってしない。なるべく自分で、一人やっていかれれば、それが私の性に合っている。 それだけですよ。それでなくとも、この世は制約だらけ。そのなかで心の自由っていうものを私は持っていたい。自分がつくるものだけは、誰にもなんの遠慮もなく、勝手につくりたいと思っています」
篠田 桃紅(美術家)