「大阪愛犬家連続殺人事件」「近畿連続青酸殺人事件」…「毒物列島」と呼ばれた時代に科捜研にいたプロたち
「科学捜査」と、「人の捜査」との2本柱
毒劇物事件は、日本の犯罪史の中でも社会の耳目を集めるような特異なケースが多い。被害者が多数に上ったり、連続犯行になったりして凶悪性が際立ち、マスコミや国民を巻き込む「劇場型犯罪」となることもある。 科警研によると、毒劇物は少量の摂取で中毒や死亡に至るため検出が困難なことが多く、資料の分析手法や資機材などの選択肢があるうち、どれかを失敗すれば検出できない事態に陥る。警察庁刑事局の幹部は「最新の知識と技術を駆使し、客観性が高く正確な鑑定が重要だ」と強調する。 昭和の時代は、青酸化合物を飲まされた行員ら12人が死亡した「帝銀事件」(1948年)や農薬の入ったぶどう酒を飲んだ女性5人が亡くなった「名張毒ぶどう酒事件」(61年)、保険金目的にトリカブトで妻を殺害した「トリカブト殺人事件」(86年)などが起きた。 店頭に青酸入り菓子が置かれた「グリコ・森永脅迫事件」(1984~1985年)は多くの謎を残したまま時効が成立。この事件に関わった大阪府警科学捜査研究所の元所長は「先入観は捨てる。ある程度事件の内容は聞くが、参考程度。深入りすると分析方法を誤る。あらゆる毒物を想定した分析が必要だ」と話す。 平成では、地下鉄サリン事件や和歌山毒物カレー事件のほか、男女5人に筋弛緩剤を注射して殺害した「大阪愛犬家連続殺人事件」(1992~1993年)、「近畿連続青酸殺人事件」(2007~2013年)などが大々的に報じられた。 東京都杉並区の女性が宅配便で届いた青酸カリで自殺した「青酸宅配事件」は、毒物列島とも言われた1998年末に発生した。女性は「ドクター・キリコの診察室」と題するインターネットのサイトを通じて青酸カリを購入しており、犯罪ツールにもなるネットの危うさが浮き彫りになった。 当時の捜査に携わった警察庁幹部は「新しいタイプの犯罪で、犯人の特定や証拠の確保などの基本的なセオリーが手探りだった」と振り返る。 また、毒物を使った凶悪事件の動機は「個人的な恨み」「保険金目的」「金銭トラブル」「愉快犯」「無差別テロ」など多岐にわたる。犯人と被害者が直接接触しないため客観証拠が少なく、容疑者が否認すれば必然的に難事件となる。毒物の特定を中心とする「科学捜査」と、容疑者を浮上させる「人の捜査」との2本柱が定石とされ、その上で容疑者と毒物の結びつきを突き止めなければならない。 毒物事件の捜査指揮の経験がある警察庁の元幹部は「リアルタイムで現場にいないと実行できないわけではなく、犯人側が優位な犯罪だ」と説明。犯行に使われたものと容疑者側から押収したものの同一性の鑑定が極めて困難な毒劇物もある。 毒物カレー事件では科学捜査に加え、人の捜査も徹底した。林死刑囚が浮上したのは、捜査員の足で稼ぐ「地取り」「鑑取り」という従来の捜査手法によってだった。その上で関係者の行動を時系列で調べ上げて、毒物を仕込んだ時間帯と場所にアクセスできる人物を林死刑囚一人に絞り込むために膨大な状況証拠を積み重ねたとされる。 元警察庁長官の金高(※金高氏の“高”ははしご高)は「地下鉄サリンのようなテロだと毒物の特定は秒単位で人の命を救う」と毒物特定の迅速性を重視。さらに「科学捜査は土地勘がなければできない捜査ではない。専門家が力を発揮できる捜査領域」として専門性の高い捜査員の育成を訴える。 服藤がサリン特定に要した時間は29分。直後には被害者が運び込まれた病院から警視庁に問い合わせがあり、必要な解毒剤を伝えている。服藤は言う。「毒劇物事件は殺害や傷害を企図しており、連鎖的な模倣犯も出る。捜査の出発点は鑑定。いかに早く毒物を特定するかが何よりも大切だ」
甲斐 竜一朗(共同通信編集委員)