前橋育英の山田監督はなぜ「日本で一番勝負弱い」の汚名を返上できたのか
「負ければ『また準優勝かよ』と言われるかもしれない、という思いが脳裏から離れなくて。優勝できない星の下に生まれた人間なんだろうな、と思っていましたから。(優勝した瞬間は)ホッとしたというか、頑張った選手たちにとって本当によかったという思いがすぐに込みあげてきました」 今年度より校長になったため、さらに多忙な日々を送る。それでも島原商業(長崎)時代の監督、小嶺忠敏氏(現長崎総科大附監督)を「まだまだ背中も見えない。足元にも及ばない」と永遠の師と仰ぐ熱血漢は、2009年のインターハイ制覇時に実は胴上げを拒否している。 試合内容に納得がいかなかったことが理由だが、体と技に心も高いレベルでシンクロさせた今大会は笑顔で百点満点をあげられる。昨年は悔しさを投影させた埼玉スタジアムの空を見上げながら、山田監督は教え子たちの手で三度、宙を舞った。至福の瞬間がそこにあった。 (文責・藤江直人/スポーツライター)