敵対組織の若頭逮捕に「武闘派ヤクザ」トップの帰還…節目の『山口組分裂抗争』最前線で起きていること
〈2件の殺人事件が発生するなど、今年もヤクザ同士の抗争により多くの血が流れた。8月には『山口組分裂抗争』も10年目に突入した中、任侠界では今、何が起きているのか。『山口組分裂の真相』などの著書があるノンフィクション作家・尾島正洋氏が’24年に起きた抗争事件を振り返る〉 【画像】お、恐ろしい…!幹部に見送られ“コンパニオン参加”の『納会』会場に入る司忍組長 国内最大の暴力団・六代目山口組が’15年8月に分裂し、離脱した神戸山口組との間で続く『対立抗争』は今夏で10年目に突入している。六代目山口組は、神戸山口組からさらに離脱した池田組と絆會との間でも対立抗争状態にあると警察当局は認定しており、構図は複雑化している。 ’24年を象徴する出来事といえば、六代目山口組と敵対する絆會の金澤成樹若頭の逮捕と、傘下にある名門ヤクザ・山健組の中田浩司組長の無罪判決が話題となった。六代目山口組を巡る2つの出来事を中心に今年を振り返るとともに、来夏に分裂11年目に突入する’25年を占う。 ◆絆會・金澤若頭逮捕の「舞台裏」 金澤若頭は茨城県水戸市、兵庫県神戸市で六代目山口組系の幹部を殺害した“ヒットマン”として恐れられる存在だった。その逮捕に一番安堵しているのは、間違いなく六代目山口組側であろう。その逮捕について警察当局の捜査幹部は、 「金澤を逮捕することができたのは棚ぼただったかもしれないな」 と、少々、後ろ向きな感想を述べた。約3年4ヵ月にわたって逃亡生活を続けていた金澤若頭が仙台市内のアパートに潜伏しているところを逮捕されたのは“副産物”だった。今年1月に「桐島聡」を名乗る男が現れたことで、その指名手配書が大々的に報じられ、隣に写っていた金沢若頭にも注目が集まり、警察へ情報提供が行われたことが逮捕のきっかけとなった。 「全国の警察は毎年11月を指名手配被疑者捜査強化月間としている。ホテルや旅館などを訪問し不審な客について情報提供を求めていたが、3年以上も金澤に関する情報は得られないままだった。もっと攻めの捜査をすべきだった」(同前) 前例では暴力団による殺人事件は1件でも無期懲役の判決が定着しているため、2件の殺人事件とほかに1件の殺人未遂事件を引き起こした金澤若頭には司法の厳しい判断が待っているとみられる。六代目山口組の対立組織がまた一つ弱体化するという、大きな出来事だった。 ◆帰ってきた武闘派ヤクザ『山健組』のトップ 今秋、暴力団業界に大きなニュースが駆け巡った。殺人未遂罪などに問われた六代目山口組・山健組組長の中田浩司に対して、神戸地裁は10月、無罪判決を言い渡した。中田組長は’19年8月、神戸市内で六代目山口組弘道会系組員に対して拳銃を発射し、腕を切断する重傷を負わせたとして起訴されていた。 なぜ同じ六代目山口組同士で銃撃事件が起きたのか、疑問があると思われるが、’19年の事件発生時、中田組長が率いる山健組は神戸山口組傘下の中核組織だった。銃撃事件は、神戸山口組の傘下組織の幹部らが襲撃される事件が相次いだため、その報復とみられていた。 山健組といえば、過去に山口組の組長も輩出した名門組織。武闘派として知られ、『山口組分裂抗争』でも中心的な役割を担ってきた。そんな有名ヤクザのトップの逮捕に、ある指定暴力団幹部は、 「山健の組長が自らヒットマンとして事件を引き起こし逮捕されたことは衝撃的だった。山健といえばヤクザ業界のブランド。一時期は数千人の勢力といわれた。ケンカにいく者はいくらでもいるはずなのに。当時、これは一体どうしたことかと感想を持った」 と、振り返る。 神戸山口組は結成後、しばらくは勢いがあったが、その後は内部の金銭トラブルや統率の乱れなどから、前出の絆會(当時は任侠団体山口組)が’17年に離脱。山健組も’21年に六代目山口組に“出戻り”していた。 これにより、六代目山口組陣営に完全な形で山健組が復活したことになる。中田組長は早速外交に勤しんでおり、たとえば11月上旬には都内で住吉会幹部らと焼肉を、11月下旬は関東の有名団体と会談したことが確認されている。 しかし、検察側も黙っていない。すでに控訴しており、審理は第2ラウンドに移っている。第一審の裁判長を務めた丸田顕氏は過去にも暴力団関係の事件で無罪判決を出した経歴があるが、その事件では第二審で逆転有罪の判決が下っており、六代目としては裁判の行方を注視している。 ◆止まらない神戸山口組の減少 分裂以降の対立抗争は、六代目山口組が引き起こす事件が圧倒的に多く、神戸山口組は山健組などの中核組織が相次いで離脱したこともあり勢力の差は開いている。分裂した’15年末時点の六代目山口組の構成員は約6000人だった一方、神戸山口組は約2800人で、およそ2対1だった。 ところが、最新データとなる’23年末は、六代目山口組が約3500人に対して神戸山口組は約150人と、差は25倍以上に広がっている。こうした傾向は’25年も続くとみられ、警察当局では、「’24年末時点での神戸(山口組)の構成員は二けたまで減少しているのではないか」との考えを示す捜査幹部もいる。 とはいえ、対立抗争が終結したわけではない。12月には茨城県内で男性が刺殺される事件が発生した。男性は山口組系の元組長だったため、暴力団業界では速報され、警察当局にも一時、緊張が走った。事件はのちに対立抗争との関係性はないことが確認され安堵感が漂ったが、警察当局としても動向は常に注視している状況だ。 何かしらの理由から再び報復の応酬が始まる可能性がないとの保証はなく、警戒は今後も続く。 取材・文:尾島正洋
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