二度と取り戻すことができない貴重な時間。それを青春と呼ぶ(レビュー)
取り戻せない時間の物語である。 壁井ユカコ『不機嫌な青春』を読み一瞬目が眩んだ。十代の真ん中で感じていたはずの、原色の感情が一気に蘇ったような気がしたからだ。 四作から成る短篇集である。巻頭の「零れたブルースプリング」は昔懐かしい文通の物語だ。中学生の中村満生が拾った青い風船には手紙が付いていた。送り主の水沢怜は、小児病棟に入院中らしい。満生は返事を書く。ただし、いきなり男子から手紙が来たら女の子はびっくりする、という妹の意見を参考にして、名前を中村満里衣と偽って。 罪のない小さな嘘が引き起こした事態を描く作者の筆致は、甘く、軽やかである。だが他の三作には、もっと苦いものが含まれている。「flick out」の春木直高には不思議な力が備わっている。その場にいる誰かが彼に「消えろ」と望むほどの悪感情を持つと、どこかに吹き飛ばされてしまうのだ。この能力が発現したために直高の人生は暗いものになっていく。自分を快く思わない者がいるとわかってしまったのだから。学校という狭い世界であるがゆえの生きづらさを描いた物語だ。 「ヒツギとイオリ」も特殊能力の物語だ。イオリは痛覚などが生まれつき欠如しているため、他人に酷いことをしてしまう。心の痛みが理解できないからだ。その彼が自分と対照的な能力者のヒツギと出会うのである。他者と触れ合うことで心に生じる小さな変化が優しく描かれる。 巻頭の一篇を除けばSFに分類される作品を収めた短篇集である。一貫して語られているのは、過ぎてしまえば二度と取り戻すことができない時間の貴重さだ。巻末の「ハスキーボイスでまた呼んで」は最もSFらしい設定を扱っているが、時の流れが重要な意味を持つという点で「零れたブルースプリング」と共通項がある。人はそれと知らずに青春という時代を生きていく。すべてが終わった後でその貴重さに気づく。 [レビュアー]杉江松恋(書評家) 1968年東京都生まれ。ミステリーなどの書評を中心に、映画のノベライズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートの管理人など、精力的に活動している。著書に海外古典ミステリーの新しい読み方を記した書評エッセイ『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』など。2016年には落語協会真打にインタビューした『桃月庵白酒と落語十三夜』を上梓。近刊にエッセイ『ある日うっかりPTA』がある。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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