矢口真里、活動再開のきっかけは“うそ情報”への危機感 仕事激減も「失態や挫折があったから今の私がいる」
後輩アイドルたちにエール「諦めなければ可能性はゼロじゃない」
――モーニング娘。のプロデューサーで矢口さんの師匠でもある、つんく♂さんとも話されたのですか。 「実は(スキャンダルを)報告したのが一番遅かったんです。私にとって一番大きな存在の師匠なので、『二度と会えないくらいのことをしてしまった』と怖かったんです。その後、直接謝罪する機会を作っていただきました。モーニング娘。の頃から一度も怒ったことがないつんくさんですが、さすがに今回は怒られると思い、お会いしてみたら、昔から全く変わらない柔らかく包み込んでくれるような温かさで私のことを心配してくださったんです。その瞬間『私は何を恐れていたんだろう』って」 ――現在はバラエティー番組で当時のことを振り返っている姿を見ると、あらためて矢口さんの精神的な強さを感じます。 「今でもネットで炎上したり、叩かれることもあります。そんな時は1人で悩みや疑問を抱え込まずに家族、友達、仕事現場とか、いろんな人に話をします。それで笑い飛ばしてもらったら『何でこんなことで悩んでいたんだろう』って、すごく心が軽くなるんです。私にとって誰かに聞いてもらうことがデトックスなんです」 ――昨年不惑を迎えましたが、では、出産などを経験した30代を振り返ってみていかがでしょう。 「30代前半は、目の前の仕事や与えられたものをやり遂げることで精一杯でした。『一気に老けたな』って感じたのも30代でした。36歳で長男を出産して、今度は育児で忙しい毎日になりましたけど、その辺りから少しずつ自分磨きをするようになり、少しだけ余裕も生まれました。来年42歳になりますけど今は『30代の頃より少しだけ若く見えるんじゃないかな』なんて(笑)。どうだろう」 ――そんな日々を乗り越えてきた矢口さんですが、後輩アイドルたちにアドバイスをするとしたら。 「当たり前ですが、『諦めないこと』が何より大事です。最近は若手アイドルと一緒の仕事も多くて、現在は、メンズ地下アイドル・夢喰NEON(ゆめくいねおん)の新メンバーを決めるオーディション番組『夢喰計画』(MXテレビ系)のMCを担当しています。(オーディションの参加者は)みんな本当に努力家で歌もダンスも、とてもレベルが高いんです。まだテレビに出る機会は少ないですが、その瞬間が訪れるまで諦めず、腐らず、一生懸命やることがいつの時代も大切なんだと思います。それでもステージの中央に立てる人は、ほんの一握りしかいません。だけど、諦めなければ可能性はゼロじゃないから『いつか報われる日が絶対に来る』と信じるのも大事だと思います」 ――矢口さんも諦めずに芸能界を生きてきました。 「そうですね。『いつか歌いたい』と思っていたソロリサイタルの夢が芸能界に入って27年目で実現できるなんて、つらかった30代を考えたら全く想像もしていませんでした。やっぱりこういう機会をいただけることって当たり前ではないんですね。ファンのみなさんをはじめ、支えてくださった先輩方、仲間、そして師匠に感謝を込めて1日1日を大切にしながら当日を迎えたいと思います。いろいろあった26年ですが、今は『諦めずに続けてきて良かった』と素直にそう思います。私はたくさんの失態や挫折を経験しましたけど、それがあったからこそ今の私がいると思います。私は本当にこの世界(芸能界)が好きなので体が動かなくなるまで、ずっと続けていきたいと思います」 □矢口真里(やぐち・まり)1983年1月20日、神奈川県出身。98年5月3日。15歳の時に、モーニング娘。2期メンバーとして加入。同年、モーニング娘。として日本レコード大賞最優秀新人賞、紅白歌合戦に出場。翌99年、7枚目のシングル『LOVEマシーン』がミリオンの大ヒットとなり、国民的アイドルに。その後もグループや派生ユニット「ミニモニ。」「タンポポ」などの中心メンバーとして活動を続けるも、2005年にグループを離れ、ソロとしてバラエティタレントに転向。バラエティー番組、イベント、アイドルフェスのプロデュース、公営ギャンブル(主に競馬)、パチンコ番組など精力的に活動中。25年1月19日に東京・GRIT at shibuyaで『矢口真里バースデーリサイタル2025』と題し、1公演目は弦楽四重奏とピアノによるリサイタル、2公演目はスペシャルステージの2公演を開催。私生活では、2児の母(19年に長男、21年に次男を出産)。身長145センチ。血液型はA型。 取材協力:特別区競馬組合/東京シティ競馬
福嶋剛