松山英樹と中島啓太が「パリ五輪」へ 3年間の“選考レース”を振り返り
■惜敗重ねて欧州V 2番手に
24年2月、星野が「カタールマスターズ」で優勝。前年11月末に始まった新シーズンで2試合連続2位スタートと予感を漂わせていた欧州ツアーVを達成。107位→75位となった世界ランクも久常を抜いて2番手に浮上。五輪2大会連続出場を視界に捉えた。
■2年ぶり9勝目で再び独走へ
星野が優勝した翌週、松山がPGAツアー「ザ・ジェネシス招待」で2年ぶりのタイトルを獲得。アジア勢の最多ツアー9勝目で55位に落としていた世界ランクは20位に。国内外で活躍を重ねていた“後輩”たちを大きく突き放し、1番手の座を再び揺るぎないものとした。
■初年度で初優勝 盟友も同日V
3月、欧州に主戦場を移した中島が「ヒーローインディアンオープン」で優勝。日本ツアー「東建ホームメイトカップ」を制した盟友の金谷と同じ日にカップを掲げ、111位から78位に上げた世界ランクでも2番手に。ナショナルチーム時代に続く「日の丸」に近づいた。
■休養からラストチャンス復帰も
5月、星野が肺から空気が漏れる「気胸」により休養を発表。2月の優勝時点で2番手だった世界ランキングは離脱中に4番手まで下がり、3カ月近いブランクを挟んで2年ぶりの「全米オープン」で復帰を果たした。予選落ちで大逆転はならず、東京に続く切符を逃した。