街から消える本屋 惜しまれつつ、青山ブックセンター六本木店が25日に閉店
閉店を惜しむ声、続々
六本木店の閉店を惜しむ声は後を絶たない。店内にはこの書店に助けられたという作家や、ヒントを与えてもらったという作家、いつもたくさん自書を置いてくれてありがとうと謝意を伝える作家、いかにこの書店を愛していたかを熱弁する作家の色紙がいくつも展示されている。 この店舗に足しげく通ったという人たちの声を集めてみた。 「青山ブックセンター六本木店には、数限りなく立ち寄ってきました」と語るのは、作家の戸矢学さんだ。深夜開いていた貴重な店だったこともあり、編集者として雑誌の編集をしていた頃には、夜の資料探しにタクシーを飛ばして駆けつけたことが数え切れないほどあったという。 「もう30年くらい前のことですが、写真家のアラーキーさん(荒木経惟)のミニ特集を、荒木さんの弟子だった方(私の友人の弟さんでした)に急遽まとめてもらうことになったのですが、手元に資料がまったくなくてね。困ったときのブックセンターということで、タクシー飛ばして行きました。するとさすがにあるある! 写真集の棚は普段ほとんど見ないのですが、ほぼ絶版の貴重な初期の写真集から、発禁同然で店頭から撤去されたはずのものまで、目に付いたものは全部購入したら、ひとかかえにもなりました。バブル期だったので予算も潤沢でしたし。ちなみにその企画は、雑誌の性格に合わないということでボツになりましたが。なので、購入した写真集はすべて私が引き取りました」 その時に購入したアラーキーの貴重な写真集が、今も自宅の書棚に何冊か残っていると、戸矢さんは懐かしそうにいう。 「青山ブックセンター六本木店は会社(平凡社)が東横線の沿線にあった頃、中目黒乗り換えの日比谷線から出て、帰り道、毎晩のように立ち寄っていました」 元平凡社編集者で、民俗学など日本の心性史に関する著書の多い文筆家の畑中章宏さんの言葉だ。当時、写真集の編集をしていたため、六本木店に立ち寄っては売り上げランキングを気にしたり、自分が手がけた写真集をより目立つ陳列場所に変えてもらったりした思い出があるという。 写真家でブロンズ新社の奥田高文さんにとっても、六本木店は通い慣れた場所だ。 「ABC(青山ブックセンター)閉店も時代の流れですね。東京に出てから、二度目の引越しをしたのが麻布十番温泉の前のマンションでしたので、草履がけでWAVE、ABCへ行けたのが一番の思い出ですね」 当時はサブカルも含め、書籍に勢いがあったこともあり、カメラマンとしてこの店に通うことで文化を支えている意識も強かったのではないかと、当時の自身の姿も併せて懐かしく振り返る。 日本画家の北村さゆりさんにとっても、六本木店は特別な場所だったそうだ。 「豪華な大型の美術書なんかが充実していますよね。あそこに行けばそういう貴重で高価な本を手に取ってじっくり見ることができました。棚と棚の間を歩いているだけでインスピレーションをもらえたり、何かしら得るものがいつもある本屋さんでしたね」 一方、跡見学園女子大学文学部教授の副島善道さんにとっての青山ブックセンター六本木店は、おしゃれな町のシンボルだったようだ。 「六本木ということで、町のムードと共にあった書店というイメージです。僕にとってあの店での購買ジャンルは小説系(ちょっと純文学寄り)でした。六本木と言えばアマンド(喫茶店)前。ここで誰かと待ち合わせする時に、手に持ってる本が漫画じゃちょっとカッコ悪い。というわけで事前にABCに立ち寄って読書して、本を買って待ち合わせ場所に、という利用の仕方が多かったです。どちらかというと娯楽系の使い方でしたね」 大手出版社で多数のベストセラーを手掛けてきた編集者の今井康裕さんにとっても、六本木店は六本木を象徴する書店だったという。 「洗練された人が行く書店というイメージ。自分も学生時代から頑張って足を運ぶようにしていましたね。普段行く書店とは並べられている本の種類も違ったりして、行くだけで勉強になる本屋でした」 十人十色の思い出話であるが、みな一様に、一時代を築いた青山ブックセンター六本木店に対する一種の敬意を抱いている様子が窺える。