森山直太朗『素晴らしい世界』〈番外篇〉「たった今の“答え”にたどり着いたその瞬間を僕は『素晴らしい世界』と名づけます」
一昨年の6月より〈前篇〉〈中篇〉〈後篇〉、そして追加公演と合わせて101本に及ぶツアーを展開してきた「素晴らしい世界」。両国国技館で行われた〈番外篇〉は森山直太朗にとって初めてのセンターステージでのライブとなった。はたして、そこで描かれていたのは、森山直太朗という表現者がこれまで辿ってきた道程――『素晴らしい世界』そのものだった。 【全ての写真】両国国技館で行われた森山直太朗『素晴らしい世界』の番外編(全17枚) チェロ、ピアノ、フィドル、ギターにバンジョー、バンドメンバーが四角いセンターステージを囲むように配置につき、それぞれにチューニングをはじめる。チェロを主体としたどこか儚げなメロディが会場に流れ出す。童話の世界にいるような夢心地な音楽に身を任せていると軽快なフィドルの旋律が草の匂いを連れてやってくる。いつの間にか沸き起こったオーディエンスのクラップがひとつの楽器となってアンサンブルのなかに溶け出していく。 一転、相撲の寄せ太鼓のリズムが鳴り響いたかと思うと、そこに壮大なオペラのシンフォニーが被さる。弦楽の旋律と和太鼓の拍子が完全に合わさったこのマッチングはいったい何を示唆しているのだろう。会場にはそのままバリトンの美声がこだまし続けている。オペラ「カルメン」で歌われる有名なアリア「闘牛士の歌」だ。勇ましいメロディから歓喜に満ちたメロディに切り替わる瞬間、直太朗が真紅のフラッグを振りながら登場した。ステージの真ん中にフラッグを立てると、それがそのままマイクスタンドになり、1曲目「生きてることが辛いなら」の歌唱に移り、〈番外篇〉がスタートした。 この一連のオープニングの意味を本人に確かめたわけではないので、本当のところはわからない。という前提で筆者が感じたことを記せば、〈前篇〉では弾き語り、〈中篇〉ではブルーグラス、〈後篇〉ではフルバンドとスタイルを大幅に変えながら巡ってきたツアー『素晴らしい世界』の、その移り変わりを表したのではないだろうか。もちろん変遷をそのまま辿るわけではなく、一見脈絡もない風景が次から次へとシームレスにつながっていく、という物事のありようを示していた。そしてそれは人生そのものと言ってもいいし、ひとりの人間の内面における複雑さでもある。相撲、オペラ、直太朗――。多様性云々を声高に叫ばずとも、我々は十分わけのわからない世界と自分自身を生きている。 〈生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい〉 ある種混沌ともしたオープニングからこの言葉を直太朗の声で聴いたとき、もうはっきり言って、この日のライブのすべてをここで勝ち得ている、そう感じた。 中盤のブロックで披露した「papa」「アルデバラン」「することないから」の流れでは、各パートが代わる代わる入れ替わり、ブルーグラスとフルバンド、そして弾き語りの3つのスタイルを解体して曲ごとに再構築しているようだった。楽曲への思いの寄せ方もそれに伴うアプローチの仕方も、その時々で変わっていくもの、という表現者としての普通の態度に根差した現在進行形のアレンジとなっていた。 例えば実父への想いを素直に綴った「papa」は、一年前に披露されたものと今のものとでは直太朗自身のなかで表現の仕方が大きく異なっているに違いない。そこにはもちろん、父の死という事実が関係しているし、それをも含めて自身の表現に昇華していくのだという音楽家としての逃れようもない性(さが)が、この曲をこれ以上ないほど深い解放感とでも言いたくなるような境地に我々を誘ってくれる。この後の「生きとし生ける物へ」が賛美歌のように響いたのは、きっと偶然ではない。