主人公・カナを「新しい女性像」と全肯定することにためらいを覚えるワケ。映画『ナミビアの砂漠』がもたらす反発と共感
暴力性に苛ついてしまうも…眩しいカナの生き様
山中監督はインタビューで「自分の機嫌は自分でとる」という言説に疑問を呈している。もっと感情を爆発させていいのではないのか、と。それは確かに同意する。 人の顔色と機嫌より、自分の姿を鏡で見て、自分の感情をちゃんと表に出さないと、人は疲れてしまう。ただ、「自分の機嫌を自分でとる」ことと、「自分の暇は自分で潰す」ことは、似て非なるモノでもあるよな、とも感じた。それはすなわち、人間関係でお互いの時間をすり合わせることにもつながってゆく。 ところで、カナに友達と呼べる子はいるのだろうか。イチカは都合よくお互いに呼び出し、名前を出して浮気するような都合のいい関係。カナが人間関係の構築を不得手とする様子は、カウンセラーである葉山を食事に誘うところからも伺える。隣人のひかり(唐田えりか)と夜の森で出会う幻想的なシーンは、女性と正しい距離感の友人関係を築きたいというカナの願望が投影されているのかもしれない。 21歳。東京で生きるカナ。筆者が21歳の頃は歌舞伎町で大金を溶かし、「まだ若いから」という全能感があった。若い女、としての甘い蜜と辛酸の両方を享受しながら、毎日を衝動的に生きていたように思う。私がカナの暴力性に苛ついてしまうのは、自分自身が大人になってそうした衝動を爆発させることがなくなったからなのかもしれない。 分かり合えないながら、お互いのことをわからないながら、傷つけ合いながら人は大人になって、ちょうどいい距離感を覚えていくのだろう。まだ人との距離感も、自分の感情との距離感も計りかねているカナの等身大な、生き様は眩しい。それと同時に、数年後の彼女の姿も見てみたいと思ってしまうのである。 【著者プロフィール:佐々木チワワ】 ’00年、東京生まれ。幼稚園から高校まで都内の一貫校に通った後、慶應義塾大に進学。15歳から歌舞伎町に通っており、大学ではフィールドワークと自身のアクションリサーチを基に”歌舞伎町の社会学”を研究。主な著書に「歌舞伎町モラトリアム」(KADOKAWA/'22年)、「『ぴえん』という病 SNS世代の消費と承認」 (扶桑社新書/’21年)「ホスト!立ちんぼ!トー横! オーバードーズな人たち ~慶應女子大生が歌舞伎町で暮らした700日間~」(講談社/'24年)がある。また、ドラマ「新宿野戦病院」(フジテレビ系)など歌舞伎町をテーマとした作品の監修・撮影協力も行っている。
佐々木チワワ