『違国日記』新垣結衣は想像以上に“高代槙生”だった 説明セリフを削ぎ落とした演出の妙
夏帆、瀬戸康史、染谷将太ら『違国日記』を取り巻く“大人たち”の名演
“必ず来る、新しくて美しいもの”という意味を朝という名前に込めた実里。槙生にとっては散々自分を踏みにじってきた相手でも、朝にとっては道を照らしてくれるかけがえのない存在だった。だからこその、好きになってほしい、ひいては悲しみを分かち合いたいという朝の切実な訴えを槙生は「私の感情は私だけのもので、あなたの感情もあなただけのもの。分かち合うことはできない」と跳ね返す。だが、群れからはぐれた子狼のように母親の面影を探す朝を槙生は決して放ってはおかない。姉への憎しみはそのままに、母について語ることでその死を受け入れていく朝に寄り添う。新垣は想像以上に、槙生だった。不器用で、繊細で、完成された大人ではないけれど、孤独も愛する器がある。強いて言えば新垣の槙生はより温かみがあり、彼女の朝に対する感情を単純な“母性”に落とし込むことなく、短くも濃い時間の中で一から作ったオーダーメイドの愛情として見せた。 また、本作は回想シーンがないのが特徴だ。そのため、槙生と友人である奈々や元恋人・笠町(瀬戸康史)の過去についても描かれていないが、説明セリフではなくその距離感や会話の調子で想像させていく。太陽のような明るさで物語を照らす奈々、物腰が柔らかく包容力のある笠町、そして後見監督人として槙生と朝の生活を見守る、これまた少し不器用そうな弁護士の塔野(染谷将太)。わずかな登場ながらも朝を取り巻く大人たちはいずれも魅力的で、3人の想像の余力を残す名演は鑑賞者を原作に誘導するのに一役買ったのではないだろうか。 一方で、朝の友人・えみり(小宮山莉渚)のあるカミングアウトや医学部入試不正問題をモチーフに女性であるがゆえに不当な扱いを受ける千世(伊礼姫奈)の訴えなど、さまざまな要素を盛り込みながら、映画は冒頭で述べた朝の歌唱シーンに向かっていく。少し恥ずかしそうに、だけどみんなの心に何らかの反響をもたらそうとする朝の歌声に耳を傾ける高校生たちを見て、どうか彼ら彼女らが先の未来で踏みにじられることがないようにと願った。そのためにも、この胸に残る寂しさは必要なのだろう。私たちは一人ひとり別の人間で、絶対に分かり合うことはできない。無理に分かり合おうとして誰かを踏みにじらないように、孤独を胸に抱き、そして愛せるようになりたい。
苫とり子