任天堂を「ゲームの覇者」と捉える人に欠けた視点 失墜した日本メーカーの中で成功した根本理由
1つ、ゲーム自体にユニバーサルな魅力があるから世界展開できたというのは挙げられますが、それだけではないでしょう。特に任天堂の場合は、「ゲームの魅力+プラットフォームとしての魅力」という相乗効果が大きいと思います。 ではなぜ、ゲームの分野だけで日本はプラットフォームビジネスに成功しているのか。逆に言えば、なぜゲーム分野以外のところのすべてにおいて、日本はプラットフォームビジネスで失敗しているのか。
たとえば、日本製SNSのmixiは、Facebookが登場するとあっという間に取って代わられてしまいました。また、モバイルゲーム、ソーシャルゲームのプラットフォームとして一気に台頭したGREEも、Appleのスマートフォンの登場とともに大失速しました。 このように、日本発のプラットフォームビジネスも、一応はあった。しかし、すんでのところでお株を奪われるということが続いてきたのです。 それには様々な理由が考えられますが、中でも大きな要因となっているのは、今の日本では「テクノロジーに対して後ろ向きの人」が多いことではないでしょうか。すでに最新テクノロジーは身のまわりに溢れているというのに、少しでもテクノロジーの話をしようものなら、「怖い」「大事な何かが失われる」とネガティブな反応を示す。そういう人たちをたくさん見てきました。
しかし時を少し遡れば、戦後の日本は、ずっとテクノロジー立国で生き延びてきたのです。大正生まれの人たちがトランジスタラジオを作り、世界に売って経済発展してきたのが日本という国です。ところが、その子孫である現代日本人は、なぜか「テクノロジー怖い」教に染まっている。それが不思議でなりません。 任天堂を、単なる「ゲーム業界の覇者」として捉えるのは視野が狭すぎます。日本企業として唯一、プラットフォームビジネスで成功していると言える任天堂には、業界や分野を問わず、学ぶところは大きいでしょう。
後編(6月18日配信予定)に続く (構成:福島結実子)
佐々木 俊尚 :作家・ジャーナリスト