「ゆる遍路」に「お遍路ガール」も登場 四国霊場開創1200年、お遍路人気の歴史を辿る
今年も凡百の人間は煩悩を抱えたまま年の瀬を迎えようとしておりますが、あまたの煩悩を消し去ってくれるというのが、四国八十八ヶ所霊場めぐり。一番札所の徳島県霊山寺から八十八番の香川県大窪寺まで、四国の外周をほぼひと回りする道程は東京―大阪間を往復してもまだ余る約1400km。世界遺産に登録されているスペイン北部、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路800kmを凌ぐ、世界最長の「祈りの道」です。 弘仁10(815)年、真言宗の開祖・空海が42歳の厄年に四国を巡り、人々の厄災を除く88の霊場を開いてから今年は数えで1200年目。謎の多い空海の生涯と同様、その根拠は明確ではありませんが、同年、空海が京都から東国や四国など各地に真言密教流布の書状を発したとの記録があり、その時期をもって開創としたのかもしれません。 88ヶ所の由縁は人間の煩悩の数、男女と子の厄年の合計、米の字を分解したものなど諸説ありますが定説はなし。数ある巡礼路のなかで四国だけが「遍路」と称する理由も、日本書紀に記された「遍土=山間の不便な地を巡る」に由来するとも、今昔物語や梁塵秘抄にある「辺地・辺路=海沿いの道」に由来するともいわれており、こちらもまたミステリアスです。 聖や民衆の間に継承された88の霊場を特定し、一番から八十八番までの札所番号を定めたのは、高知に生まれ江戸前期に大阪で活動した真念法師。貞享4(1687)年に八十八霊場の全容を記した『四国邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)』を刊行、その後も『四国偏礼(へんろ)霊場記』『四国偏礼(へんろ)功徳記』などを編纂した遍路大衆化の大功労者です。ちなみに、遍路ガイドブックの嚆矢『四国邊路道指南』は、明治中期まで版を重ねた超ベスト&ロングセラーだそう。 江戸中期以降、西国巡礼やお伊勢参りとともに、現世利益を願う巡礼者が各地から訪れ、ずっと下って昭和初期には本格的に遍路観光が、さらに下ってバブル崩壊後は自分探しの風に吹かれて「お遍路ブーム」が始まりました。団塊世代の大量リタイアや不祥事の禊(みそぎ)流行りも遍路人気に拍車をかけましたね。