阪神ドラ4・町田隼乙が振り返る「捕手失格」から這い上がったBC埼玉での3年間
そうして必死に食らいついていくうちにキャッチングやブロッキングを磨き、配球について話し合うことも多くなっていった。 「由規さんとキャッチボールはよくしていましたし、スローイングも教えてくれました」 町田に一番厳しい言葉をかけていたのは、片山博視(現BC福島)だった。楽天を退団後、2017年にBC埼玉に入団してから強打の内野手として現役を続けながら、2023年までヘッドコーチを務めた。 「キャッチャーとしてミスすると、いくら打ってもダメ。でも、片山さんにいろいろ怒られたことで、真剣に配球と向き合えたと思います」 打撃でもっとも影響を受けたのは清田育宏だった。町田は1年目も外部者として清田からアドバイスをもらい、2年目の2023年はチームメイトとして背中を見続けた。3年目は清田が野手のコーチとなり、その指導を受けた。 「清田さんの打ち方はシンプルというか、タイミングの取り方がわかりやすかった。見ているうちに、無意識に自分も似てきていたみたいです。そこから、だんだん自分の形ができていきました。選手として一緒にプレーしていた時も、練習や試合前の準備など、すごく勉強になりましたね」 【「一番苦しかった」エラー後、清田の言葉で固めた決意】 町田自身も、1年目のオフから動いていた。「NPB選手の球を見たほうがいい」という片山コーチの口利きで、まず涌井秀章(中日)の自主トレに参加。さらに、2023年からは2年連続で、阪神二軍の春季キャンプにブルペンキャッチャーのアルバイトとして参加した。 キャンプでは捕手練習にも加わることができ、スローイングも改善の糸口が見えてきた。2023年の春、チームに戻ってきた町田の体格はひと回り大きくなっていた。 「NPBの投手の球を受け続けたことで目が慣れ、『BCの投手の球を打てないはずがない』という気持ちになりました」 同年のリーグは4月に2本の満塁本塁打を打つなど、最高の状態でスタートした。逆方向にも柵越えの打球を放ち長打力を見せつけたが......好調は長くは続かずに自信が揺らいだ。それを横目に、高校からチームメイトだった金子功児(現西武)が打撃を開花させ、スカウトから注目を浴びるようになった。 町田は焦っていた。打撃には一定の評価があり、キャッチング技術も高まってきたが、改善の兆しが見えたとはいえスローイングが安定しない。「捕手失格」という声が、町田の耳にも届いた。