「燃えてる。うちはダメ。もう、もう、焼け落ちた……」2度の火災で北九州・旦過市場の老舗映画館が焼け落ちた日
映画館を再生します。 小倉昭和館、火災から復活までの477日 #1
北九州市・旦過市場の火事が起きたのは2022年の4月だった。元々古い市場だったが活気があり観光客も訪れていた。そしてその悲しみが癒え切らない4ヶ月後にまた火事が、それも前回より大きな規模で起きたのだ。その火事で消失してしまった歴史ある映画館こそ、「昭和館」。 【写真】見事に復活した現在の昭和館
その消失から再生までを記した『映画館を再生します。 小倉昭和館、火災から復活までの477日』より、火事が発生した日の様子を一部抜粋して紹介する。
うちはもうダメ
去年の夏も、暑かった……。 小倉駅から歩いて7分。魚町商店街を抜けて大通りの信号を、旦過市場のほうに渡ったところの路地に、古い建物はありました。 夜にはネオンが輝いていました。うちの裏手にある旦過市場では、2022年の4月に大きな火事があったばかりでした。 あの日。 2022年、8月10日、水曜日。レディース・デイで、展示コーナーにたくさんのお花を飾っていました。うちで上映していた『映画太陽の子』には、若くして亡くなった三浦春馬さんが出演されています。熱心なファンの方々が、いつものように、たくさんの花を贈ってくれていたのです。 最後のお客さまの背中を見送って、スタッフと翌日の予定を打ち合わせます。「暑いから売れるよね」と、冷蔵庫にはアイスクリームをパンパンに詰め込んでいました。 お掃除のおばちゃんに残ってもらって、わたしは昭和館を出ます。 真っ直ぐに自宅のマンションにもどって、夕食の仕度をしました。お魚を焼いて、味噌汁をつくります。お風呂に入って、洗濯機を回しました。 家族3人が、食卓に集まったのは夜9時よりも前で、「きょうは早いね」と、みんなで話していました。 ちょっとだけ、お酒も飲んでいます。 それぞれがパジャマを着て、ほろ酔い加減になったところ、電話が鳴りました。自宅の固定電話でした。こんな時間に誰だろう……と、受話器をとりました。 弟の声でした。 「魚町4丁目のほうが、燃えてる」 「えっ」 そんなはずがない……。息子と目を合わせました。夫の視線を感じます。弟の声が、わたしの耳に響きます。 「すぐ、降りてきて」 「わかった」 「マンションの下に、迎えに行くから」 夢中でした。酔いは一瞬にして、さめています。 ごはんを食べかけのまま、急いで着がえます。化粧もせず、「火を消したよね」と、そこだけ確認して、家を飛び出しました。 家族3人、自宅のマンションの前から、弟のクルマに乗り込んだのですが……。 旦過市場は、北九州の台所。4月の火災の傷も癒えないうちに、2度も続けて起こるなんて、信じられない。昭和館は大通りから、路地をちょっと入ったところにあります。すでに消防車もきていたので、クルマは近寄れません。 あらためて、携帯電話を確認しました。警備会社からの連絡はないので、あのときに火は入っていなかったのでしょう。 大通りの反対側の歩道から、昭和館が、影のように揺らいでいました。 建物のすぐ後ろの旦過市場からは、炎が出ています。煙も見えました。強烈な匂いも漂っていました。 うちが火元だったら、わたしは生きていけない……。 樋口家は代々、この地域の消防団でした。昭和館の創業者でもある祖父は、消防団長をつとめています。団員だった叔父は、大昔の旦過市場の火事で目をやられています。 うちの映画館には防火水槽がありました。消火栓もありました。消防団の刺し子の法被や、ヘルメットもありました。消防訓練も、毎年しています。 4月の火事は「漏電が原因かもしれない」と言われたので、電気系統を再検査してもらっています。きちんと全部調べて、大丈夫とのお墨付きをもらいました。 あんなに気をつけても、火を防げなかった。あれ以上、どうすればよかったのか。