あの“鍵穴”の形が!市民が歴史的な発見「前方後円墳」 国土地理院の「陰影起伏図」で気付く 「科野のクニ」始まり解明に期待
11月8日、長野市篠ノ井の古墳が鍵穴のような形でおなじみの前方後円墳と確認されたというニュースをお伝えしました。専門家も信濃の国の成り立ちを知る手がかりになると期待しています。
■全長80メートル級の「前方後円墳」
長野市篠ノ井の塩崎地区にある「将軍山」。山道を15分ほど歩くとー。 長野市教委・文化財課埋蔵文化財センター・清水竜太・研究員: 「こちらが新たに確認された前方後円墳の後円部になります」
山頂にある「将軍山古墳」は直径32メートルの「円墳」と思われていましたが、このほど、全長80メートル級の「前方後円墳」だったことが分かりました。
■専門家「歴史的な発見」
全国の古墳を研究する茨城大学の田中裕教授はー。 茨城大学人文社会科学部・田中裕教授: 「80m台(の前方後円墳)というのは既に知られていることが多いので、新発見というのは、歴史的な発見としか言いようがない素晴らしい発見」
国土地理院が公開している土地の起伏がわかる「陰影起伏図」を見た市民からの連絡で調査が行われ、四角い部分が確認されました。 長野市教委・文化財課埋蔵文化財センター・清水竜太・研究員: 「まだ長野市内にこんな大きな古墳があるとは、正直驚きです」
その一つ、千曲市の「森将軍塚古墳」は全長100メートルと県内最大で、4世紀に「科野のクニ」を治めていた王の墓と考えられています。
将軍山古墳は森将軍塚から、数十年の間につくられたとみられ、県内でも3番目に大きい可能性があるそうです。 「科野のクニ」の始まりの解明につながるのでしょうか。 茨城大学人文社会科学部・田中裕教授: 「特に前方後円墳はヤマト王権を中心につくり出されてきた古墳の中でも代表的な身分の高い人が採用する古墳。今回、地域の中でも最も高い地位にいるものの古墳であるということがわかります。どうやって地域のまとまりができていったのか、より詳細にわかることが期待される」