女性登山家・田部井さんの山登り哲学。「山は大切な何かを教えてくれる」
女性登山家として世界で初めてエベレストを制した田部井淳子さんが亡くなられた。田部井さんと一緒に山登りをさせてもらったのは、5年前だ。折りしもの、山ガールブーム。ムック本を作ることになって、何度か九段の事務所を訪れて、田部井さんの指南を受けた。 「入門編のような本を作りたいんです。好きな山に案内して下さい」 そう相談すると「困ったわね。私には好きな山というか嫌いな山がないのよ」と仰った。 そして、故郷の福島から昭和女子大に進学、上京して始めて登った山だったという、初心者向きの御岳山から日の出山のルートを紹介され、一緒に登って、ナビゲートをお願いした。 ケーブルカーを使って出発地点まで上がった。「私はケーブルを薦めているの。苦しい思いをして登る山って、二度と行きたくなくなるわよね。また行きたいな、気持ちよかったな。そういう体感を得て欲しい。」 撮影をしながらのデモンストレーションの山登りだったが、スタート前には、田部井流ストレッチをして体を温め、神社仏閣を探訪、山に咲く花を楽しみながら、お仲間とペチャクチャとお喋りをしながら頂上を目指した。「楽しめばいいの。五感で山を感じましょう」。70歳を超えて僕なんかが追いつかないほどの健脚だった。マンションではエレベーターは使わず、階段を利用するなど、普段から訓練を怠らない。 行きかう人、休憩ですれ違う人、みんなが、「田部井さんだ!」と、握手を求め、記念撮影をねだった。 とてもチャーミングな田部井さんは、山のアイドルだった。 原点は小学生のとき、学校の先生に連れられて登った那須山系の茶臼岳、朝日岳。1900m級の山で地面から煙がもうもうと上がる岩山などの自然に「こんな風景は見たことがない」と心を奪われた。先生は、田部井さんに、登山心得をこう説いたという。 「登山は競争じゃない。ゆっくりと自分のペースで登ればいいんだよ」 昭和女子大に進み、御岳山登山を終えると、渋谷の三省堂書店に走って山の本を買った。東京を基点に神奈川、埼玉、群馬の関東周辺の山を登りはじめ、夏になると、当時、百貨店に出されていた「夏山ブース」という相談所で、山小屋のおじさんに相談、八ヶ岳を縦走、穂高を制覇し、「もっと未知の世界を見てみたい」と、海外のもっと高い山へ目が向くようになった。 29歳でアンナプルナIII峰に登り、35歳でエベレスト登頂に成功、世界7大陸の最高峰の登頂を果たしたのは52歳。海外で登った山は、160座を越えた。 女性だけの登山が、特異な目で見られ、その遠征資金を集めることに苦労したこと。長い遠征で家庭を空けることになり、娘の理解を得るのに長い時間がかかったこと。エベレストでは、雪崩にあい、生死をさまよったこと……壮絶であるはずの昔話を、実に楽しそうに話された。山ガールの先駆者であり、当時、女性の社会進出の象徴のようにもなったが、田部井さんに、ひとつも肩肘を張ったものはなかった。